白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

18:57ひとりごと

全然大丈夫じゃなかったんだなぁとかふと思う。

私全然大丈夫じゃなかったんだった。

普通の毎日じゃないくせになにやってんだか だ。

どこかに行ってしまいたい。

どこかってどこだ。

ここじゃない場所。

ここじゃないどこかに、ひとりで行きたい。

でも、どこかに行っても行くのは私だからすぐに(ここ)になっちゃうかな。

おんなじがいっこもない。

揺らぎの中でようやっと生きてて、なんだろうね。

位牌なんて選びたくないんだぁ。

もうなんにも選びたくないんだぁ。

もう感じたくない。

なんに対しても一喜一憂したくない。

(前の って云わなくていいよ)

(だって別れたわけじゃないんだし)

(×付いてないんだぜ)

確かに。確かにそうだ。

 

 


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私は私だけのもの

こわい夢を見た。

どっかの森に何人かできてるんだけど、はぐれてしまって、なんか気付いたら胸のところにカラスの死体がくっついてる そんな夢。

起き抜けで頭回ってないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

昨日はお義父さんとお義母さんが都内に出てきてくれた。

一緒にお昼ごはんを食べながらお話しましょうの会だ。

お蕎麦と天丼のセットを食べた。

食べながら、色んな話をした。

 

一周忌の段取りとか、位牌の手配とかさ、ほんとまるっと任せちゃってさ。

甘え過ぎだ。

ひとりだったらなんにも出来なかったんだろうな ってことばっか。

なんにも出来なくて、うずくまってるだけだったんだろうな。

 

 

納骨のことを結構聞かれた。

『ほんとに大丈夫?無理してない?』

とか。

『誰かに早く納骨しろとか云われた?』

とか。

『別に一周忌だから絶対納骨しなくちゃってわけじゃないんだよ』

とか。

私のことを本当に考えて、想ってくれて、泣きそうになった。

 

だから私は、私の意志で決めました。ってちゃんと云った。

お父さんからのアドバイスもあったけど、最終的には私の意志で、お義父さん、お義母さんとも過ごしてほしいなって素直に思いました って云った。

そしたら、(ほんとのこと云うとね)ってお義父さんが話し出したんだ。

 

自分も、お母さんも、ずっと元気なわけじゃあないからね。

もしも、万が一、急に死んじゃったりしたらさ、やっぱ〇〇(かっち)の遺骨がどうなったのかな~って最後に思っちゃいそうだったんだよね。

だから、ほんとにほんとのこと云うと、安心した。

ぼっちちゃんの思い遣りで、少し一緒に過ごせるのもすごく有り難いんだよ。

そういうぼっちちゃんの優しさが嬉しいんだよ。

 

泣いてしまった。

新宿の蕎麦屋さんで、ずっとずっと我慢してたのに泣いてしまった。

かっちがお義父さんとお義母さんにどんだけ大事にされていたかとか、

葛藤とか、ジレンマとか、

言語化するのもつらいような言葉を頑張って喋るお義父さんと真剣に向き合った。

そんで、私はふたりにもっともっと長生きしてほしくて、

まだまだ元気でいてもらいたくて、

そんなこと思ってたらぽろぽろと泣いてしまった。

 

ぼっち『骨じゃん ってのはほんとに、そうなんです。骨だよ、かっちじゃない。』

お義母さん『うんうん、分かるよ、分かるから。』

ぼっち『でも、理屈じゃなくって、うーん、かっちの全部じゃないけど、これもまたかっちなんですよね。』

お義母さん『そうだよね、うん、分かるから、大丈夫だから。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かっちは幸せ者だ って、何度も云われた。

 

2回目の告知をされた後、私がトイレかなんか行ってて居ない時に、かっちがお義母さんに云ったんだって。

(俺ぼっちが居て本当によかった。ぼっちおらんかったらこの瞬間もどうにかなってた。)

 

んで、お義母さんは話を続けた。

『〇〇(かっち)にその話をされた後、〇〇(かっち)が居ないところで、ぼっちちゃんに(私、かっちと籍入れててほんとによかったです。じゃなかったらここに私は居れなかった。家族でいれてよかった。)って云われたことが忘れられなくてね。

籍入れたばっかりで、結婚式も間近で、親の立場からしてぼっちちゃんになんて謝ったらいいのかって気持ちをなくしてくれた。

あの時はありがとうね。それから辛い想いをひとりでさせて、ごめんね。』

 

 

あれは私の本音だった。

籍を入れて、家族で、奥さんだから。

だから急に倒れたりしたら一番最初に私に連絡がくる。

カンファレンス室にも入れる。

私に一番最初に。大小問わず、一番最初に色んな話が入る。

その度に、悩んで、選んで、決めてきた。

ほとんど、かっちと私の2人で決めてきた。

でもごめん、最後は私ひとりで決めた。

私だけで決めた。

 

そんな私の本音が、少しでもお義父さんとお義母さんを楽に出来ていたなら、それはもうけもんだ。

 

 

私が私でいる意味。

これね、最近友達と結構深い話をしたからまた書きたいんだけど、そんな意味に直結しているものでもあるんだろうなぁって。

私の選択。

私の思い。

私だけのものだ。

 


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夜めぐり

自分のさみしさに一生懸命になって、他人のさみしさに寄り添えてなかった。

そんなことを最近思った。

みんな頑張って生きているんだもんな。

色々あるのは自分だけじゃない。

あれやこれや思うとこがあるのは自分だけじゃない。

そう思えて生きてきたはずだったのに迂闊だった。

(自分が一番)って顔をして歩くことがなによりいやだったのに、

もしかしたら知らないうちにそんな風に思ってて、

もしかしたら知らないうちに透けて見えていたのかもしれない。

そうだったら恥ずかしいし、かっこわるいことだ。

誰かの力や、支えにはまだ成れないんだと思う。

それぞれにきっと確かな器が用意されていて、それはその時々で形を変える。

今の私の器はペットボトルの蓋レベルで、そう考えるとなるほどな と頷ける。

ペットボトルの蓋と一緒になんらかしらを共にしてくれる友人たちに超絶感謝を繰り返しながら、そうやって私はなんだか生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は8回目の月命日だった。

過去の日記とかブログを読んでみたらすごいのね。

私、すごい能動的に動いてて。

(かっちの好きそうなことをしよう)って思って、考えて、実際動いてた。

その時はその時できっと無理やりだったりしたんだろうけど。

やっぱり記憶があやふや というか、散らかってる。

書いておいてよかったなぁって思うことばっかりだ。

読み返してへこむことも多いけど、過去の自分に気付かされることもある。

(私こんなこと思えてたんだ)とか。

でもその反面、他人を見ているような錯覚に陥る瞬間もある。

これは誰だろう。私なんだろうけど、私じゃないような。

すごく瞬間だけ、他人事みたいに見える。

トンチキ発言メンゴ。

 

 

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アネモネ花言葉って、色によって違うらしい。

赤は(君を愛す)

紫は(あなたを信じて待つ)

白は(真実・希望・期待)

色によって花言葉が違うって、なんか人間みたいだなって思った。

 

 

 

 

 

 

 

さしのみをした。

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かっちは恐ろしく下戸なのでちょびっと。

 

色んなこと喋った。

超絶一方的に、勝手に色んなこと喋った。

私オンステージ。

観客はかっちさん。

もうちょっとでかっちも好きだった光のお父さんのドラマが始まるよ とか、

前期はタラレバ娘とカルテットが面白かったよ とか、

サンダーボルトと進撃と夏目の新シーズン始まるよ とか、

お義父さんとお義母さんが今日靖国神社にお参りに行ったんだって とか、

髪の毛がそんなに抜けなくなったよ とか、

最近全力逃げダッシュしてるよ とか、

ご飯、人といるとわりかし食べられるよ とか、

音楽の活動をまた始めてみたんだよ とか、

仕事ちょっとっつ行き始めたよ、でもちょっとっつだけど とか、

眩暈はまぁぼちぼち相変わらずで、耳鳴りは酷くなってきちゃったかも とか、

みんな元気そうだよって。

みんな一生懸命だよって。

私も一生懸命にならないとアカンのんだけどもねって。

失うものがもうなにもない状態の人間ってこんなにも強さから遠い場所に置かれるんだねって。

私、昔は最強だと思ってたんだよ、身一つの人って。

守るものがあって、帰りたい場所と帰る場所が一致してるひとがやっぱ一番強い。

今はそう思うんだってね。

すごく正直に云うと過去の自分が羨ましいけど、

誰もかっちじゃないから、もう私は帰りたいって思わないし思えない。

当たり前の話だけどねって。

楽しかったねって。

幸せだったねって。

 

相槌もレスポンスもない私オンステージを繰り返して、積み重ねて。

傍に在ったのはそうやって出来上がった夜だった。

友達からお誘いがきて、私オンステージは閉幕。

かっちのビールを私に流し入れて、出来たてほやんほやんの夜に飛び出した。

どこまでいってもひとりだ。

でもひとりじゃないらしい。

どっちやねん。

どっちにしろ、会いたいなぁとか思う。

それいつものことじゃん って、打ち込んでてちょっと笑えた。

 


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(きみには内緒にしていたい)

音楽に救われてる話。

 

 

結婚式で、私がものすごく好きな曲を使った。

そら、全部好きな曲だし素敵な曲だったけど。

日常でずっと聞き続けられる曲。

毎日に寄り添ってくれる曲。

気付いたら隣にふと居るような そんな曲。

そんな曲が好きだ。

だからよく映画のサントラを聴くのかな って今気付いた。

 

 

 

 

 

その歌はVanessa Carltonの【A Thousand Miles】という曲だ。

聴けば(あぁ!)ってなる人多いと思う。

youtu.be

最初に聴いたのは高校生の時だったかな。

れいな曲だな そう思った。

緩急がそんなにあるわけじゃないから、ずっと聴いてても疲れない。

晴れの日、雨の日、帰りが遅くなった帰り道、わくわくすることをしに行く道中、シーンを選ぶことなく散々聞いた。

籍を入れても、私たちの日常はとりわけなにも変わらなかった。

『ただいま』云って、一緒に好きなバラエティ番組とか見ながらご飯食べて、アホみたいな会話して、お風呂入って、ゲームして、『おやすみ』云って眠る。

そんな平穏な日常が続いてた。

 

ぴったりじゃん って思った。

緩急がそこまでなく、疲れない日々。

ずっと愛せる。ずっと大事に出来る。そんな日々とそんな曲。

 

 

 

 

 

 

 

気に入ってたのは曲と声だったから、歌詞は全く見てなかった。

さっき、何の気なしに和訳を調べてみた。

ら、とんでもなく悲しい歌だったのだ。

完全に、大切な人とのお別れの歌だった。

 

(もしも私が空に落ちていけたら

時間は私をおいてってくれるかな

一千マイルだって歩いてみせるから

もしも私が今夜、きみに会えるなら)

 

これはサビのとこの和訳。

タイトルの頭にAが付いてるのにMilesと複数形のsを付けているのは(絶対に辿り着けない距離)って解釈をしているサイトを見つけて、あぁ、この曲はこんなにも悲しい歌だったんだ と、衝撃を受けた。

ほんと、今日の朝のこと。

 

 

 

 

 

 

 

結婚式には合わない曲だったかぁ やっちまったなぁ なんて、ぼんやり思った。

それでも、かっちは多分(いいじゃん)って云うんだろうな。

おいおいなんでもいいのかよ って思うでしょう。

違うんだな。

かっちは私が選んだものならなんでもいいんだ。

なんて云ってみる。

 

悲しい歌でも、バカみたいにどんちゃんした歌でも、私の中には歌がある。

歌が、音楽があってよかったって、素直に思うよ。

やっぱりこの曲は大好き。

これからも私に寄り添ってくれるんだろうなぁって。根拠はないけど、そう思う。

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2:22ひとりごと

嘘みたいだな って思う。

ずっと、時間の感覚がわからないって云ってきた。

もう なのか、まだ なのか。

タイム感や季節感がバカになってるのは相変わらずだけど。

でも今はっきりと思ったことがある。

カレンダー見て、はっきりとそう思った。

もう8ヶ月経とうとしてるのか と。

もうあれから、あの日から8ヶ月かよ って思った。

 

これからどんどんあったかくなってくんだろうな。

やだな。やだな。って思う自分がいる。

一周しちゃったら、どうなっちゃうのかな。

こわいな。漠然と、こわさしかないな。

戻ってきたりしないかな。

なんてな。

どこもかしこもおかしいなぁ。

私。

異質さを正してほしい。

歪んだとこ、まっすぐにしてほしい。

それ無理なら触れるだけでいいよ。

どこまでも他力本願パラダイス。

誰かなんとかしてよって。

でも、私をなんとかしようとしないでよって。

どっちなんだよな。

こうなっちゃうととことんダメだ。

これダメなやつ。

悲しいと寂しいと喪失感で私がなくなりそうになる。

生命力がバッタくらい。

バッタに失礼か。

やだやだ。

youtu.be

秋でもないのに頬に赤い紅葉。

色んな音で確かに癒されてる。

よくも悪くも刺されてる。毎日どこかしらを。

音楽あってよかったなぁ。

 


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あの時も迷子だったのかもね

私は新宿という街が嫌いだった。

駅は難易度の高いダンジョンだったし、

キャッチやスカウトの声掛けが恐かった。

 

打って変わってかっちは新宿大好き人間だった。

かっちが当時住んでいた場所が、新宿の駅まで歩いて行ける場所だったのもあったからだと思う。

出会って、遊ぶようになってから新宿を歩く機会が極端に増えた。

それまで知ることのなかった、知ろうとしなかった沢山の側面が見えてきた。

用があれば苦い顔をして渋々出向く場所。

滞在時間を少しでも短くしたい場所。

そんな新宿という街で。

 

 

 

 

 

 

 

当時の私は好き嫌いの激しい多感期の学生みたいな、とてもめんどくさい人間だったように思う。

(ちょうどいい)とか(中間)があまりなく、融通のあまり利かない奴。

(ぼやかす)ことの楽さとか賢さとか、そういうものを持ち合わせていなかった。

自分の中で感じた感覚が一番正しいって疑わなかった。

 

 

かっちがその当時の自分にした話で、すごく印象に残っている話がある。

人間の歩くペースの話。

 

かっち『田舎の人と都会の人、どっちの方が歩くの早いと思う?』

ぼっち『そりゃ都会の人だよ。忙しなく歩いてるもん』

かっち『田舎の人かもしれないよ?対向の人とか障害物が少ないし』

かっち『都会の人はゆっくりと人の多さが重なってるんだと思うな~』

ぼっち『先入観』

かっち『そう先入観。ほんとのことなんてわかんないけどね~なんかいまふと思ったのwww』

 

この話を聞いた時。

私の田舎脳内イメージは、おじいちゃんがだだっ広い雪の降る駅のホームをふうふう歩く そんな風景。

都会脳内イメージは、丸の内のオフィス街をザザッとかっちょよく肩で風切って歩く30代殿方 そんな光景。

 

全部、私の脳内が思い込みで出来ていたら。

先入観で凝り固まった、意固地な自分がとても損なものに思えてしょうがなかった。

そんな思いと同時に抱えた憧れと眩しさ。臨機応変でフラットに生きているかっちが眩しくて羨ましくてしょうがなかった。

その時も半歩後ろから横顔を盗んで、にやにやしていた。

私はこの人に選んでもらったんだ!

誇らしかった。

なにより、素直に嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

新宿って街も、悪い場所じゃないなぁとすんなり思えた。

沢山遊んだ。力いっぱいこの街で遊んだ。

難易度マックスだと思って避けに避けてた地下街は、とても便利なものだった。

声掛けのスマートな避け方を覚えたら(いやだな)と思う負担はなくなってた。

それがお仕事のひとつなわけだし とか思えた自分に、自分でびっくりした。

見る角度や場所によって、そのものの見え方が変わってくる。

それは人間だってそうで。

私はどんどん(嫌い)がなくなってった。

人に、優しくなれた。

自分に出来て、相手に出来ないことがあると理解出来ない、そもそも理解しようとしない そんな私だったのに。

(これ)が出来なくても(それ)が出来るじゃん。

それでいいじゃん なんて思えるようになってた。

そんな私が、どんどん好きになってった。

そんな私の隣にはいつもかっちが居た。

 

 

 

 

 

 

 

かっちが居ない新宿をぼっちで歩く。

まだ違和感だよ。

半歩前で歩いてよ。とか、手繋いでよ。とか。

すげー考えながら歩く。

どんな顔してるんだろ。今の私。

そのままでいいって云ってくれた友達には申し訳ないんだけど、

そのままの私ってなんなんだろう って考えるよ。

多分、君と話す私もそのままの私だろうけど、まるっとそのままの私じゃないんだろうし。

常に新宿で迷子だよ。

そんなバカみたいに不毛なこと、ずっと考えてるよ。

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youtu.be

歌詞がなんかもうまんま。

今の感じまんま。

 


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今はこのモラトリアムを駆けるよ

世の中は連休というものだった。

かっちも基本はカレンダー通りのお休み。

連休の時は思い切って遠出したり、漫画を買い込んで家でまったり読んだり、ゲームに耽ったり。

その時その時の連休を楽しんでいた。

 

 

 

 

今回の連休。

私は友達と水族館に繰り出してきた。

魚は大きくて、冷たそうで、きれいで、かわいくて、こわくて。

楽しかった。

ひらひら泳ぐ魚を、ぼうっと見ていた。

たっぷりと見入ってしまった。

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土日どっちも、ほどよく歩いて、美味しいご飯を食べて、お酒を飲んで、笑った。

ご飯屋さんの前でお店を決めてる時。

メニューをぱらぱら見ていた時。

確かに私は(お腹すいたなぁ)って思った。

その瞬間にあ、久しぶりだな って感じた。

もしかしたら1人でいても降りてきた感情だったかもしれない。

でも、そう思った時が1人じゃなくてよかったってなんか思った。

なんでかわかんないけど、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はえんちゃんと会った。

私が感じてる(やばいかもしんない)と、彼の感じる(お前やばいかもな)が一致した。

すごくなんとなくな感覚で話すね。

いつものことだけど。

 

 

私の周りの人は(これからの私)の為に提案してくれたり、話をしてくれたりする。

それが(これからの私)にとっていいってことはわかる。

みんな時間や労力かけてくれる。

それ自体は本当にありがたくって、申し訳ないとも時折思う。

でも(今の私)がとうとう暴走し出した。

わかっちゃいるのに、へそ曲げ出した 感ぱない。

(今の私)はそんなにがんばれない。

そんなに出来た奴じゃあない。

(これからの私)の為に(今の私)が脱げる肌はない。

余裕もへったくれもぶっちゃけないのだ。

 

だから、逃げに逃げてる。

これからがどうなろうがもういーのいーの状態。

今の楽さと今の楽しさをなにより優先した。

見たくなかったら目をつぶる。

聞きたくなかったらイヤホンで耳を塞ぐ。

見つけそうになったら走って見逃す。

気分はさながらリアル逃走中だ。

 

だからこれは、いつかぶっ壊れる。

壊れるべくして壊れる。

自覚がものすごくある。

えんちゃんはそんな私と対峙して、(なるほど お前やばいかもな)なのだ。

もう私は逃げてる自覚もやばい自覚もあるもんだから、ヘラヘラ笑いながら(そん時はえんちゃん、頼むねwww)と右の掌を見せた。

えんちゃんは(いつもいつでも備えとく)と返してくれた。

私の最大の友人。

いつも頼りにしすぎてごめんね。

でもこればっかりはもう誰にも頼めない。

えんちゃんにしか云えないな と思った。

ありがとう。


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