白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

ずっと会いたい

会いたいなぁ。

朝起きてるのに、暫くベッドの中でうだうだ喋ったり、各々スマホ眺めたり。

そのままゆっくり起きて、ケトルのスイッチ入れて、私はカフェオレでかっちは紅茶。

録画したアニメを流しながらその日どこに行くか、お昼ごはん何食べたいかの案を出し合って。

意見が割れたらプレゼン大会して。

私は着ていく洋服で頭抱えて。何着か候補を絞ってかっちに決めてもらって。

帽子はくどくなるからいらない。

結構歩くから鞄は肩から下げるやつにしなよ。

服が黒だから靴は黒のマーチンやめてえんじのマーチンにすれば?

かっちの目と手と声で私がよそいきに成って。

同じ鍵を2人で持って。

同じ家を出る。

そうやっていつでもどこでも私の右側を半歩先歩く。

会いたいなぁ。ほんと会いたい。

今急に会っても泣いたりしないと思うよ。

すぐに戻れると思う。

すぐに3年前のいつもの毎日に戻れるし、戻せるってなんか思う。

会って、声が聞きたい。喋りたい。

どうだっていいようなことでも、内容も意味もないようなことでもいい。

腕に触りたい。左腕に触りたい。

もうこんなに触れてない。

もうこんなに会えてない。

会いたいなぁ。ずっと会いたいんだよ。私は。

ずっとかっちに会いたい。

会ったら、色々ごめんね云いたい。

ありがとう と、すき はかっちと出会ってから死んじゃうまでにアホほど云ったつもりだから、もういいや。

今私こんなんで、ちゃんと出来なくてごめんねって。

ちゃんと生きられてなくてごめんねって。

こんなに弱い、というかポンコツでダメダメでグズったらしくてごめんねって。

逃げてばっかでごめんねって。

お酒ばっかでごめんねって。

心配かけてごめんねって。

健康なのに、健康じゃないみたいでごめんねって。

もっと沢山のごめんがあるし、それ云いたい。

最悪、私の声は届かなくてもいいから、なんかもうただ会いたい。それだけ


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確かに私は私も責めている

何やってんだろう。

世界はもう4月末だった。

私はこうして、何やってんだろうな。

なーんて思う。

 

 

 

 

 

GWが間近に迫ってきた。

私には3つ楽しみがある。

 

・友達と遊びにいく

・ライブを見にいく

・会いたいひとに会う

この3点盛り。欲張りすぎたかな って思うんだけど、いいよね。

 

友達とは、行く先はまだ決めてない。

ふらっとどこか連休っぽいことしよう的なそんなノリ。

すごくありがたいし、嬉しい。

ライブはちょっと首都圏から離れた場所に行く。

会いたい人は、本当に会いたい人。

何を話そうか、何を聞こうか、今から考えてそわついてしまう。

 

 

 

 

 

GWにどっか、人と出掛ける なんて、3年振りだ。

2015年は抗がん剤治療で入院をしていた。

2016年はこの時期、あまり体調が良くなくって、日帰りでドライブがてらかっちの実家にちょこっと遊びに行っただけ。

連休を連休らしく使うことが、久しぶりだなぁなんて思った。

 

元気な時は色んな場所に行ったなぁ。

ぱっと今思い出したのは京都旅行。

楽しかったなぁ。

その日のかっちの格好がベージュのジャケットにループタイ、下だけ縁なし眼鏡だったから、(おじいちゃん教頭先生かよwww)って笑いまくった。

ポニーに感動して(ぼっちwwポニーがおるwwwww乗ってよwww)って私を乗せて、超笑いながら写真撮りまくってたな。

喫茶店巡りしたり、ゆっくり時間を使って京都の街を満喫した。

あれはちょうど3年前か。

その頃からきっと腫瘍はかっちの体の中にあったんだろうな。

遠隔転移するまでなんで気が付かなかったんだろうな。

だって体調悪いとか云わなかったもんな。

でも、もっと強く人間ドック勧めておけばよかったのかな。

結構云ったつもりだったんだけどな。

(オッケーオッケー軍曹、その話はまた今度だ)とか云ってすーぐはぐらかすんだあの病院嫌いは。

そういう人だ って、私知ってたはずだったのにな。

ちょっとやそっとは我慢しちゃう人だって知ってた。

病院嫌いも知ってた。

かっちも私もきっと無意識の中で(自分と自分の身近な人間に限ってそんなこと)って思っちゃってたんだろうな。

バカだな。

でもしょうがない。

優しい世界が過ぎたのかと云われれば、それも間違いじゃない。

けど、それが悪いことだとも思わない。

それはそれで、私たちの日常だったんだもん。

でもあるよ、そんなこと。

そんなこともこんなことも、信じられないくらい痛くて深い絶望は、日常のそこらかしこに散らばってる。

思えば私だけだったのにな。

あの状態をなんとか出来る人間がもし、いたとしたら。

いたとしたら、それは私だけだったのに。

(もし)の話はキリがまるでないし、始まっちゃうと大概、いい感じのテンションでは終われない。

それなのになんでだろうな。

テレビとか、外野の声に対しては(もう私を責めないで)っておいおい被害妄想乙www的レベルではっきり思うのに、

私はずっと私を少し責めている。

あんな感じかな。

少女漫画とかでよくある、(俺はお前の悪口云っていいけど、他の奴に云われるとなんかムカつくんだよ!)→(…トゥンク)

みたいな茶番劇。

違うか!

でも気持ちはわかる。

ダブスタだったとしてもなんだろう、わかる。

 

それはずっとではない。

しかも沢山ではない。

てか(もし)の話だし。

(もし)の世界の中で、たまに 少しだけ な話。

でもきっと、私が死ぬ時まで、これはずっとこうなんだろう。


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8秒数えて目を閉ざす

毎日思うこと、感じること。

煩わしく感じる気持ちや、嬉しいと思う感情。

それらを全部ごちゃまぜにしたのが今の私だ。

なんとまあバランス感覚の悪い、主軸を失った人間だ。

 

 

風邪をひいた先週のことから振り返り。

振り返って、書いておく。

熱を出して、ノーマル時ですらぼやっとしている頭に拍車がかかる。

月曜日 友達が修造みたいになった。(とにかく水分摂れ、厚着して寝ろ、そして汗を出せ)ってアドバイス

修造に倣い、ポカリの1.5リットルと、オレンジジュース1リットル、ミルクティー1リットルを飲み干す。

火曜日 えんちゃんがお昼ご飯を持ってうちにきてくれた。

激しい眩暈。

三半規管が全然正しく機能してくれない。

修造化してた友達に、水分摂取して毒素を出す仕組みを詳しく教えてもらった。

水曜日 熱が微熱レベルに。

曲製作のためにスタジオに行かなきゃいけない日があったから多少の無理をした。

木曜日 よくなってきた。

暇で、ずっとブラックラグーン見てた。

金曜日 ようやっと両耳の耳抜きが出来た。今週初飲酒。

土曜日 昔のバンド仲間と久しぶりにご飯飲み。

 

 

耳抜きが本当にしんどかったなぁって思い出した。

元々すぐ詰まるタイプで。

そろそろおっきい耳鼻科に行かないといけないな と思っていた。

聞こえが悪い。眩暈が多発。

それが日常。

もっかい、今度は違う心療内科にも行かないと。

自分の異質な感じは自分自身でわかる って前にも書いたけど、

人からしたらそれは倍増されて見えるものなのか否か。

少し恐いポイントではある。

久しぶりに会った友達と話してて、なんとなくそう思った。

みんなは当たり前に優しい。

少しのトンチキ発言がきっとあったって、(こいつ今大変なんだ)って思ってやり過ごすのかな。

かっちが死んじゃった後に私と出会い、友達になった友人たちは、私のことを(変わってる人)(普通ではない人)だと云う。

私、元々どんな人間だったっけ。

元からおかしかったんだっけ。

うんと普通だと思ってたんだけど、そうじゃなかったのか。

変化なのか。

把握もコントロールも全く出来ないし、なんなら元より出来てなかったのかもしれない。

 

 

 

 

昨日の日曜日はバンドの撮影があった。

2週連続で日曜日に陽の光をがっつり浴びた。

その後はメンバーと飲み会。

楽しかった。

グッズはどうしようかとか、これからの製作についてとか、ライブの方向性だとか。

そんな、過去ではするのが当たり前だった話を今の私がまたしている。

そんな状況が面白くて、違和感も勿論あって、でも楽しくて。

なんか生きちゃってる人間が、モノを創る。

それはそれでこれはこれで、でも私はこんな私をやっぱり知らない。

 

 

そんな日曜日が終わって、寝ている私が見た夢もまたどうしようもない夢だった。

(かっちが死んじゃったらどうしよう。

どうしよう。いやだ。

死んじゃったら、いやでいやでたまらない。

多分私は生きてはいけないな。)

って、1人で考えて祈ってる夢。

バカみたいだ。ほんとに。

云うまでもないけど、寝起きは最悪だったよ。


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大丈夫ジャッジマンとお風呂大臣

なぞる記9  

 

手術が終わって、ICUで2日間。

その後は観察室(だっけ?名前があやふやだ)を経て、ようやく一般病棟に戻ってこれたかっち。

もう手術の翌日にはしっかり喋れるようになっていた。

なまじ意識がはっきりしているから、余計に傷口の痛みなどを感じてしまって、かわいそうだった。

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手術後に脳外科の先生からお話があった時にぎょっとしてしまった話がある。

最初に頭が痛い と訴えて近くの脳外科クリニックに行った時に既に腫瘍の大きさは3センチあったという。

それは事前に聞いていたし、みんなにも云っておいたからみんな知っていた話。

でも、手術までその間わずか半月。

手術の際、腫瘍の大きさは5.5センチにまで成長していたというのだ。

『旦那さん、本当によくがんばりましたよ。これじゃあ吐くし、歩くなんてとんでもない。とてもまともじゃいられないのによく家で過ごされましたね。』

 

やっぱりあの時のかっちの(大丈夫)は(大丈夫じゃなかった)んだ。

私は強く思った。

これからは私がその(大丈夫ジャッジ)を見極めなきゃいけない。

かっちの云うこと全部、言葉そのままに受け入れちゃいけないこともあるんだ。

決意したと同時に、恐くなった。

当たり前に私は人から命を預かった経験などない。

リポビタンD的なCMを思い浮かべてみたけど、うん、やっぱりあんな思いはしたことがない。

でも、これはそういうことだ。

そういうことなんだ。

今なんかよりもっともっと強くならなきゃだめだ。

あわあわしててどうにかなることと、そうでないこと。

これは明らかに後者じゃないか。

目の前に映し出された腫瘍のレントゲン写真を見ながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手術から8日後。最後の点滴用の管がやっと外れた。

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かっちは意識を取り戻してからずっとこう。

ずっと、おもしろおかしいポーズをしたりして、私を笑わす。

傷の治りも早いと云われて、ご機嫌だった。

 

この時だっけな。

1人の看護婦さんに、『娘さん、毎日来てくれて嬉しいですねw』って云われたかっち。

それ聞いて2人しておもいっくそ笑ってしまった。

ぼっち『すいませんw妻wwwですwwwwww』

かっち『俺きっと手術してどちゃくそ老けたんやろな…w』

看護婦さん『すいませんすいません!!!奥様だったんですねほんとすいません!!』

ぼっち『いや私がこんなふざけた髪型してるから…こっちこそなんかすいません…』

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金髪ツインテールで病室に出入りしてたらそら奥さんには見えないかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管が取れてから、放射線治療も加わった。

残り半分は退院してから通院することになった。

お風呂も入れるようになった。

転倒が恐いから看護婦さんが付き添うか、身内が付き添うか が条件だった。

かっちが(ぼっち頼むね)と云ってくれたから、私がお風呂大臣に任命された。

看護婦さん相手じゃ恥ずかしかろう と思っていたわたしの想像はどんぴしゃだった。

後頭部の傷にあまり触れないように、優しく頭を洗ったり、背中を洗ったりした。

冷たい!云ったり、あっつ!!云ったり、私の服びしゃびしゃにしたこともあったなぁ。

不器用だったけど、楽しかったなぁ。

 

 

結果、かっちは10日に退院するんだけど、それまでに色んな人が病院に来てくれた。

かっちが退屈しないように、楽しくなれるように。

うちのお父さんなんて『俺とかっちは開頭仲間だからなーwww』なんて云ってかっちと肩を組んでいた。

頭を開けた人にしかわからないような感覚レベルの話を2人共こぞってしていた。

経験しないほうがいいと思うけど、なんとなく心強く感じた。

 

開頭仲間 がいる。

カテーテル仲間 もいる。

放射線治療仲間 もいる。

でも、抗がん剤仲間 は身内にも、周りにもいなかった。

これから、どうするのかを決めなくてはいけなかった。

その前に。

セカンドオピニオンを一応しておこう という話になった。


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声待ち

日曜日はいっぱい歩いた。

いっぱい話して、ご飯も食べた。

日曜日の神社とか商店街は人の多幸感に満ち溢れている。

人から見れば私だってそんな多幸感の一部だ。

人生って、生きるって、よくわかんないことの連続だ。

でも生きてる。

かっちのいた世界で生きてる。

かっちのいなくなった後の世界は、かっちのいた世界なわけで。

繋がってるはずなのに、大きい、埋まらない切れ目が確実にそこにはある。

あるから違和感を今もこうして抱えているのか。

ほんとはそんなもんなくって、ないけどないなりの、なにかしらの気持ち悪さは今も健在だ。

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点在している小さい赤がかわいいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達とバイバイして、自分の家に帰って少し寝てしまった。

起きて、まず(あ、熱出たなこれ)と。

体温計は38度という数字を映し出していた。

 

気温上がったり下がったり激しかったもんね。

先週は音楽関係でバタバタしてたもんね。

週末にかけてちょっと歩き過ぎちゃったのかもね。

たくさんの落とし所が頭の中で渦巻いた。

風邪をひいても、傍であわあわするかっちはいない。

冷えピタ貼ってくれない。

コンビニで私の好物を買い込んできてくれない。

背中を、頭を撫でてくれない。

もういっそ全部忘れてしまったほうが楽なんじゃないかな。

私はこうなると考えが酷く幼い。

そして極端だ。

ちょうどいいとこないのかよ。

って自分に対してよく思う。

自分の悲しいとか、自分のつらい、しんどい、寂しい に押し潰されてる。

こんなんじゃダメなのに。

ほんとここ最近ダメだなぁ。

って思ったけど、ここ最近でもないね。

ずっとこうだ。

ずっとこの喪失感がまとわりついて、私を重くする。

色んな事柄を頑張ったほうがかっちは喜ぶだろうし、

日々をもっと楽しんだほうがかっちは嬉しいんだろう。

私が悲しむこと、傷付くことが一番やな人。

それは私自身でも、親や姉妹、友達でもなく、多分かっちだ。

私の楽しさを一番に願う人。それもきっとかっちだ。

それを私は(そうだ)と云えるのに。

そんな風に云える程丁寧に支えて、守って、想ってもらっていたのに。

ごめんねこんなんで。

ほんとごめん。


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『お前誰だよ』

2年ぶりに話した友人がいた。

その友人とはもう10年以上の付き合い。

昔は家族ぐるみで付き合いのあった友人だ。

その友人に電話口で云われた台詞が、『お前誰だよ』だった。

 

奇遇やなw私だってわからんわwww

せやろwwwエッてかお前まじで誰だよwww俺知らんわwwww

こんなアホな会話を深夜2時過ぎに繰り広げていた。

この2年でお互いガラっと変わること、あったっすね 話。

今度飲もうって云って、深夜のバカ電話は終わった。

 

 

 

 

(誰でもいい)は(誰でもよくない)だったから、

(なんでもいい)はやはし(なんでもよくない)なのかなぁ。

なんだよ 結果誰よりもわがままで、誰よりも気にしいじゃん。私。

まだ逃げさせて と弱く思う。

そんな今日。

 


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夜桜とひとりぼっち

こんなに近くにあったのに なんで気付けなかったんだろって話。

 

 

 

 

 

この前、お父さんと飲みに行った。

鰻の肝を喰らった。それはそれは美味しかった。

お父さんは焼酎。私は瓶ビールを。

串物の煙にまみれながら、あれやこれや話したり、聞いたり。

 

お父さん『最近物を捨ててるってLINEで云ってたけど、一周忌が終わったら引っ越すのか?』

ぼっち『引っ越すと思う。家賃高いし、動けないことはよくないことだってなんとなくは分かってるんだよなぁ。』

お父さん『おうおう 実家戻ってこよーぜ。』

ぼっち『なんで?』

お父さん『俺がぼっちラヴ(はぁと) ってだけの理由よ。』

 

ナシではないけどアリでもない と、今の私はそう思う。

ってことも云った。

でも、そんな場所があるってのはありがたい。

ってことも勿論云った。

 

 

 

お互い大概酔っ払ってきたので、場所を喫茶店に移した。

 

お父さんはお母さんが居ていいな。

お母さんはお父さんが居ていいな。

妹は旦那ちゃんが居ていいな。

妹旦那ちゃんは妹が居ていいな。

 

珈琲を飲んで話しながらぼんやりと思った。

これは云わないでおいた。

云われても返しようのないこと。

不毛な会話がしたいんじゃない。

それだったら最近読んだ本の感想や、

今月の日本映画専門チャンネルでの見所を話すほうがよっぽど楽しいし、実になる。

 

お父さんを駅の改札まで送って、もっかい駅の外に出た。

お父さんと別れてから、あ、多分今私、電車に乗れる面をしていないだろうなぁって思ったのだ。

 

 

外をぷらぷら歩く。

繁華街。

金曜日の夜だ。

高層ビルに囲まれた空。

かっちの病院が近いな。

ここは最寄り駅じゃないけど。

どーする。

とりあえず酔い覚ましにあるこっか。

あるった。

ゆっくりだらだら、好きな音楽聴きながら歩いた。

かっちのお世話になった病院の前まで来て、なにをするわけでもなく通過。

普段歩かない裏道を歩いた。

そこから電車に乗ろうと思っていたのに、またもや電車に乗るタイミングを失ってしまった。

なんで私こうなんだろーなぁ。

ダメじゃんなぁ。

お父さんにかっちとの昔話や、かっちが過去に沢山やらかした、トンチキ☆ドジっ子話を聞いてもらってたからかな。

すごく会いたくて、会いたくてしょうがなくなった。

 

病院の裏に、こんなスペースがあった。

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2015年も、2016年も、桜を見る余裕なんでお互いなかった。

それまでお花見は2人にとって春の大切にしたいイベントだったのに。

精神的に余裕のなかった私。

きっと、精神的にも体力的にも余裕のなかったかっち。

やっぱギリギリだったんだなぁ。って思いながら桜を1人で見上げた。

こんなに近くにあったのにね。

気付かなかったし、あの時は到底気付けなかった。

そういうものよ と。

そういうものだね と。

もう一駅分、かなり遠回りしながら夜の道を歩いた。

 

翌日の朝、左足のつりでそれはそれはとてもやな目覚めをするんだけど、それはまだこの時の私は知らない話で。

思えばそんなんばっかりだ。

だって今の私は6分後の私を知らない。

みんなそうやって生きてるんだもんなぁ。


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