かっちと私が住んでいるこの街は、まぁそこそこな都会で、平日休日問わず毎日沢山の人が行き交っている。
昼の商店街、夕方のスーパー、夜の喫茶店、いつ何時でもそこには人が存在する。
こんなに沢山の人が居るのに、かっちは居ない。
どんだけ見渡しても、みつけられない。
それが辛くて悲しくて悔しくて、だからあまり外に出たくない、特に昼間は というなんともな子供じみた発想なわけで…と我ながら思う。
出られないわけじゃないし、家にこもっているとみんな心配する。
かっちが居なくなってから(かっちだったらどうするかな)とか、(かっちが今私を見ていたらどう思うだろう)とかを今まで以上に考えるようになった。
かっちは私に甘々だった。
私の望んだことは全部やってあげたいって思ってたと思う。
実際、私のしたいこと、やりたいことにはいつだって一つの返事を返してくれていた。
笑って、『やってみればいいじゃん』って。
行きたい場所があるんだ、見たい映画があるんだ、欲しい洋服があるんだ、
否定されたことなんか一度もなかった。
勿論、かっちの行きたい場所やしたいこと、それも全部やってきた。
私たちは狭い2人の世界の中で肯定し合って生きてきたのだ。
新しい洋服とか鞄を買ってくれば『おーーめっちゃかわいいじゃん!』
美容院に行けば『冒険したな~wでも似合ってる!』
ネイルを新しくすれば『春先取りww爪先明るくなったね~超かわいい!』
贅沢を咎めることなんか云われたことないなぁ。
ぼっちの可愛く在ろうって姿勢が好きだと云ってくれた。
私の周りの既婚、彼氏持ち女子はみんな旦那様や彼氏の愚痴とかを一切云わない ってか私同様愚痴のネタがない人ばっかだったので、集まるとそこは自然と(チキチキ!第一回旦那・彼氏のこういうとこが好きだぜ!100%惚気大会)の会場になってた。
みんなの歯の浮くような惚気を聞くのが好きで、それから、私のアホな惚気を聞いてもらうのが好きだった。
周りの人が比喩でもなんでもなくきらきらして見える。
自分の姿は見えない。
今、ももクロの(白金の夜明け)という曲が頭の中でずっと鳴ってる。
アルバムが出た当時も好んで聞いていた一曲だ。
多分甘い言い訳を私はずっと探してるんだろうなぁ。