白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

100日

今日でかっちが居なくなってから、死んでしまってから100日経ったらしい。

 

 

私さっきまですごい勘違いをしていて。

本当は明日が100日目だと思ってたんだ。

ふと、ベッドに転がりながら携帯のカレンダーを見ていて、おやぁ…と。

 

ぼっち数え間違いしてました。

 

 

 

100日だろうが101日だろうがなにをするわけでもないし、

かっちのことだから『別にどっちが100日でもえーよw』って云うだろうけどもね。

なんかほら、区切りの意味があるとかって聞いたことがある。

七日、四十九日、百か日。よく分かってないし、だからどーしたって感じだけども、昔の人はこの日にちを以って(くよくよすんのおしまい!)みたいに決めてたみたいだ。

聞いた話だからいまいち合ってるか自信ないんだけどwww

 

 

昔の人ってすごいよなぁ。

今より遥か近くにみんな(死)を置いていて、それが当たり前だったっていうんだからもうなんとも云えない。

七五三のお祝いもさ、これまた人から聞いた話なんだけど、昔は伝染病とか常に流行ってて、その中でも免疫力の低い子供が3歳、5歳、7歳を迎えられたらウルトラハッピー!みたいなとこがあったから、(元気で節目の歳を越えてくれてありがとうパーリィ)みたいな感じだった と聞いたことがある。

 

今だって、健康で産まれてくれればそれだけでいい って願う人の方が俄然多いと思うけどさ、今よりもっともっと(死)が誰の傍にもあった時代なんだなぁ って思った。

 

 

 

 

 

前に夜中、妹と電話をしていた時。

 

ぼっち『昔の人は、こういう悲しくて辛くて、どうしようもない夜をどうやって越えてきたんだろう』

妹『電話とかメールとかないもんね』

ぼっち『きっと達観してたのかなぁ 精神年齢が全然違うとか』

妹『そう思わないと辻褄も合わないよねぇ。メンタルすごいよ昔の人は』

 

と、今の時代の便利さ、それに対して昔の時代の人のメンタリズムを深く考察してしまう時もあった。

 

便利すぎるからメンタル最弱になるんか?と思ったけど、やっぱりそれは違う。

それはもう環境だ。

 

毎日美味しい出来立てご飯を大切な人と、今日1日あった出来事をぽつぽつ話しながら、笑いながら食べる毎日が急に、

核だったはずの 大切な人 を取り上げられてみたら。

どんなに美味しかろうが、どんなに出来たてほやほや!ほらぁお米が立ってますよぉぉ~だろうが、そこに意味がない。

私にとって、ご飯は大切なコミュニケーションのひとつだったんだなぁって、それは初めて気付いたことだった。皮肉だなぁ。

 

 

与えてもらっちゃってたから。これは理由になるのかな。

だって与えてもらえてたんだもん。幸せを。繋がりを。便利さを。笑いを。

 

 

 

 

そんな100日目。

前にも後ろにも緩やかにすら私は動けていない。

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