今も実家でお父さんとお母さんと同居している父方の祖父。おじいちゃん。
祖母がまだ生きていた頃は祖母の言いなりで、弱くていまいちよくわからない人だった。
それでも、祖母とは違う人だ。と思っていた。
祖母と話すことはなくても、おじいちゃんとはぽつりぽつり話していた。
お母さんやお父さんに攻撃もしなかった。
祖母のアルツハイマーが酷くなるにつれ、引っ張られるかのようにおじいちゃんもボケ始めた。
それが、祖母が死んで3日くらい経ったある日。
いきなり洗脳から醒めたようにボケがなくなったのだ。
家事や世話をするお母さんに対しても『いつもごめんね』とか、『ご飯美味しいよ、ありがとう』とか声を掛けるようになったし、お父さんとも砕けて喋るようになった。
私もおじいちゃんに数独を教えてもらったりした。
今までだったら考えられないことだ。
まじで一種の洗脳だったんじゃないかなぁと今でも思う。
祖母の葬式、お通夜、ずっと明るく、とても晴れやかな顔だったのだ。
そんなおじいちゃんももう94歳。
流石に軽くボケてるし、極端に耳が遠くなった。
補聴器は本人がいやだと云うからしょうがない。
なんかこう、書いてて思ったけど、どのパターンも当たり前にあるんだよな と。
いい人が早くに死んじゃうパターン
いやな人が早くに死んじゃうパターン
いい人が長生きするパターン
いやな人が長生きするパターン
どれもこれも、型にはめることなんて出来ないね。
でも、やっぱり人徳って言葉はある。
誰にも泣かれない 誰にも悲しまれない 誰にも惜しまれない人。
みんなが泣いて 悲しんで やり場のない感情が飛び交って惜しまれ続ける人。
まだ私31年しか生きてないのに、どっちも近くで見た。
どれだけ生きたかじゃない。どう生きたかだ。
そう理解はしてても、やっぱりなんでやって気持ちは常にある。
割り切れないし、やり切れないよ。ずっと。