白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

7月

かっちの一周忌を終え、東京に戻ってきた私は隙間を埋めるように遊んだ。

友達と会ったり。

一緒に飲んだり。

ひとりで飲んだり。

そうやって、きてしまうその日に向けて現実の中で逃避 というか準備していた。

 

 

 

その日は海にひとりでいこう。

なんとなくぼんやりそう思っていた。

 

毎年8月頭に花火大会がある、かっちの親戚んちの近くの海。

付き合い始めてから毎年、その海には遊びに行った。

行かない年はなかった。

一昨年だって、抗がん剤治療中に行ったんだよ。

少し泳いで、夜花火を見て、体力的にはもうフラッフラだったけど、

かっちの(これてよかった)(楽しかったね)に救われた思いで。

花火大会の日ではないけど、ひとりでぼうっとしたかった。

ほぼ地元の人しかいないような静かな海だから、ちょうどいいな なんて。

 

 

 

 

でも急に事態は大きく動く。

そんなこと云ってられなくなった。

 

26日、朝起き抜けカフェオレを飲んでいたら家族のグループラインが動き出した。

発信元はお父さん。

朝っぱらからどしたどした と思って携帯を見たら。

じいちゃんが亡くなった と。

右手に持った携帯の中でとんとんと詰まれてく妹とお父さんのやりとり。

おうちで亡くなったから警察や検死が入る。今日明日で動かないから別に来なくて大丈夫だよ。

といった内容だった。

 

私はそれでも実家に行って、なんらかの手伝いをしようと思った。

思ったのに、動けなかった。

ずっとベッドの下で体育座りして、時計を見たりしていた。

別に特段おじいちゃん子!!ってわけではないし、

じいちゃんももう90オーバーだったし、

それでも。

祖母が亡くなってからの交流はとても良いものだったなぁ とか、

数独の解き方を教えてもらったなぁ とか、

麻雀を教えてもらったなぁ とか、

戦争の話をよくしてもらったなぁ とか、

じいちゃんお酒が好きだったから、もっと前からフランクに話せていたら一緒に飲めたのになぁ とか。

 

なにより、なんかもう、これ以上家族が死ぬの、やだって思った。

なんでみんな7月なんだ。

なんなんだよ、ほんとに。動けよ。実家戻れよ。

なんて自分に対して思いながら、それでも動けずにいた。

まじで時計見る以外何してたんだろう。

15時くらいまでぼうっとうだうだしていた。


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