怒りの話と優しくないひとりごと
現実の中で逃避をするようになったな と思う。
事実の点と点は総てが線で繋がるわけではない と思うようになってから、そんなだ。
この前、友達と話している時に聞かれたことがある。
『ぼっちちゃんって怒るんですか?』と。
その友達は人の、人に対して怒る所がなんとなく想像出来るらしい。
この人は怒ったら恐そうだなぁ とか。
この人は感情的になりそうだなぁ とか。
でも私から(怒り)とか、(憎しみ)みたいなものを一切感じないのだと云う。
全く想像が出来ないからちょっと教えて と云われて思わず笑った。
いやいや。私だってあるよ と。
不快な思いをさせられたらそれがなんとなく伝わるような空気にしてやりたい とか、意地の悪いこと思うし。
実際したことだってあるし。
きっと怒らないってだけで色んな人を言葉で傷付けた。
過去に理詰めで論破して女友達に泣かれ、感情的になられたこともあった。
その時に、(ぼっちちゃんの云うことは確かに正しいかもしれないよ。でもそれは私に優しくない!)
と泣きながら云われた。
ほとほと困った。
それでも自分が感情的に怒ったり、言い合いの喧嘩みたいにはならない。
多分、他人にあまり期待をしていないんだと思う。
感情的に自分の思いをぶわーーって云えるのって、その意見が(通る)とか、(どうしても通したい)って思ってるからだろうなぁって。
他人だし。
分かり合えるわけないって思ってる。
かっちとだってそう思って一緒に居た。
1人と1人はどう転んだって、どう縺れたって2人だ。
ひとつにはならない。
でもそれがいいんだって。
ひとつになれない2人が一緒に居られるのがすごいんだって。
そう思ってずっと隣で平和に生きてきた。
んで、人にもよるけど(こんだけ暴言吐いても、大丈夫)ってラインがあまりない。
基本的に怒られることが苦手で、
暴言とかも苦手だから、それを自分がやるって選択肢がない。
だったら無言で去ってしまった方が労力も遣わず、自分を傷付けず、楽なのだ。
こんなようなことをものっそ圧縮して云ったらその友達に、
『達観し過ぎてて、寂しいな』って云われた。
続けて、『だからかな、ぼっちちゃんと喋ると自分の怒りみたいなものもないように感じるなぁ』って。
嬉しかった。
確かに寂しい奴だけどwwwでもその言葉は投げられて嬉しかった言葉だった。
最初の話。
現実の中での逃避の話。
自分の能力が低いからすっごい言語化するの難しいんだけど、完全に記録用。
ガチのひとりごとだと思って付き合っていただけたら。
読んでくれる人に対して優しくなくてメンゴ。
白と黒がありました。
白の中で生活してました。
白の世界でどーしようもなくなったので、黒の世界に遊びに行きました。
気も紛れるし、時間も使えるのですが、ちゃんと白の世界に戻らなくてはいけません。
戻った瞬間から、そのテンションなんかの明確な差異に自分が着いていけなくなりました。
自分はどっちなんだろう 何者なんだろう と使わなくてもいいはずの思考回路が廻ります。
疲れます。
これが現実から逃避してたパターン。
白と黒がありました。
白の中で生活してました。
白の世界でどーしようもなくなったので、その場で真空パックの中に黒を創りました。
白の中にいくつか点在する黒の真空パック達。
それはそのまま。
多分ずっとそのまま。
これが現実の中で逃避してるパターン。
これめっちゃ楽なんだなぁって。
その真空パックは自分のポッケから取り出したり、友達が持ってたり、きっと様々で。
それがありがたい。
そりゃみーんな他人だけど、他人だからこそ。ありがたい。
このパターンにもどっかに落とし穴的なものあるのかな。
だとしても今は分からないし、気付かない。
自分でその道や空間を歩いてみてどうなのかを確かめながら生きるしかないんだなぁ。
ってかこんなこと真面目に考えてる自分に笑えてくるwww
もう朝なのになにしてんだろwww