白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

底はなかった。

私は過去の私が羨ましい。

このブログでも散々書いてきたけど。昨日、会社の人と話しててより強くそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分でも自分のモチベーションの保ち方がもう随分バカになっているなぁってのは結構前から感じていた。

自分の機嫌を自分でよく出来ない人間なんてアホだなぁなんて昔は思っていたのだが、そんな些細なことさえ、微調整が上手くいかない。

 

まずは、(昔は出来てたのに!)と(でも現状出来てない)の差異を私ははっきり感じてしまって、落ち込む。

それと同じようなことなんだけど、器のキャパが極端に狭くなってきている。

昔だったら、他人さんが何を言おうが何をしようが(まぁそういう考え方の人もいるよね~)なんてふんわりかわして、家に帰れば楽しい日常。あったかいご飯食べて、ゲームして、ちょこっとかっちに笑いながら愚痴って、共感してもらって、気持ちよく寝ちゃえば翌日にはあれまぁすっきり。

今は何かひとつ、気になることを云われたりしたらその場では返さないけど、家に持ち帰って、出来事をゆっくり頭の中でなぞって、云われた言葉や発言に理屈や理論が通ってないことを再確認してから、持ち帰った状態はまだモヤモヤだったその気持ちがふつふつ怒りだったり呆れに推移して、(もうこれ以上関わるのをやめよう)って決断してしまう。

初めから後者タイプの人もいるかもしれない。

てか珍しくないと思う。

ただここで私が云いたいのは、(私は、前者の私が好きだった)ってことだ。

 友達に後者タイプもいるけど、私はとても好きな友達だし、尊敬もしてる。

私軸で考えただけの話なのであしからず。

 

許せる自分が好きだった。自己満足だけど。ポーズかもしれないけど。

前にも書いたけど、帰る場所のある人間の強さって本当にすごい。

共感して、肯定してもらって、ちゃんと叱咤もしてもらえる。

好きな人に。尊敬する人に。唯一の人に。

許せる自分を肯定してもらていた私を今の私は痛いくらい知ってるから、今との差異が単純にしんどい。広がれば広がった分だけちゃんとつらいし痛い。

 

 

 

 

 

 

 

会社の人と、過去の自分・今の自分について話をしていた時に、会社の人は、

(自分は結構昔に遡って、あの時ああしとけばよかったなぁってことがいっぱいあるよ。だから振り返る)って云ってた。

私は明確に違った。だから私は違うって云った。

 

勿論あったよ。あの時ああしておけばとか、なんでこっち選ばなかったんだろうとか。そんな(もし)とか(れば)の積み重なって出来た山の中で、ずっと生きてきた。

でも今はもう明確に違ってしまった。

どんな取捨選択をしても、今は変わらないんだ ってなんだか気付いたのだ。

悔やむことは沢山ある。反省することも、嘆くことも、悲しむことだって当然ながらある。

悲しみに底はなかった。

後悔に底はなかった。

喪失感に底はなかった。

これが多分4年目現状の答えだ。

 

(ただ、昔のヘラヘラしてた、ヘラヘラでよかった自分が羨ましくて羨ましくてしょうがないんです。だからもうたらればとかより、後ろを振り返る度にぼーっと指咥えて見ているだけなんですよね。あーいいなぁ って。)

 

なんとも返し難いんだろうなって回答ももう全然出来るようになってしまった。

数を経て、それは私の考えなくていいところなんだ って割り切れるようになってしまったからだ。

でもやっぱり、昔の(何て返したら相手にとっては楽かな?)を模索していた自分が好きだったという事実が今の私につきまとってきて離れない。

夜寝る前とかにふと思い出しちゃって気持ち悪くなる。

いじわるだったかな、とか、不安になる。

ここでは本当にいつでも不安100%で笑うwww誰にも云えないよ。

今年は出来る限り嘘をつかないようにしたいって思ったから、自分からかっちの話はしてない。どっかしらで嘘をついたり誤魔化したりしないと会話が成立することがとても難しいって気付いたのだ。

というか云ってもわかんないし、わかんないのなんて当たり前なんだからしょうがないのに、しょうがないってわかってるのに、それにちゃんとへこむのが嫌だ。自分がしんどくて、つらくて、痛い思いは極力したくない。

めんどくさいやつだなって思う。

でもかっちの話はしたいんだ。

すっごくしたいの。

だからめんどくさいやつ。

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