白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

記念日反応と(言葉がほしい)

一番紐付けされてる出来事が多い月がどーしたって7月だ。

 

最近自分自身に対してあぁこれは記念日反応ってやつなのか?と思う。

体調も安定しないし、まぁ普段からぼうっとしている奴だ と云われればそれまでなんだけど、人から云われる(どうしたの?)の数の増加っぷりがすごい。

そんで大体それ云われる時まじで何にも考えてないというか、本当にぼうっとしてることが多くて、ちょっと自分でも引いてた。うわまたぼうっとしてたよ。なんて。

6月末だし、梅雨だし、じめっとするし、意識的でも無意識でもあぁ、なるほどなぁって思って。

7月末はかっちの命日だ。

 

 

 


毎年、夏はつらいし苦しい。
どの季節にも色んな思い出があるけど、2人でした、行った楽しい思い出!だけじゃなく、失ってしまった後の記憶が脳内に、体にこびり付いて、意地でも忘れてくれない瞬間がある。

 

夏の夕立はかっちの会社帰りを思い出す。
お葬式が終わって数日後。備品を返しに行くのと改めてご挨拶を兼ねた時の帰り道。急な夕立とエンカウントしてしまった。
私がかっちの会社に行ったのはこの時が初めてで、かっちはいつもこの、駅に繋がる道を通りながら(今から帰るよ)テレフォンをしていたんだな とか、じゃあなんで私が今ここにいるんだろう なんて、日常を大きく違えてしまった私を私がまだ全然理解出来ていなくて、混乱と悲しさで泣きながら帰った。
雨と汗と涙で顔がぐしゃぐしゃになって、髪の毛がべとついて気持ち悪かった。


暴力的な夏の日差しは、うなじを焼き尽くされるかと錯覚したかっちの1周忌を思い出す。
納骨したんだ、この日に。
迷って悩んで考えて、というか、今ならわかること、思うことって直面していた2年前とは異なるし、かっちと出会う前ともきっと異なる。
ずっと私はそこまで深く考えてなかったけど、(すぐ納骨してあげよう派)だったと思う。どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、先人たちがそうしてきたように、倣うよう、それが正しいことだと思ってた。し、自分もすぐそうするんだと思い込んでた。
でも、実際は納骨するまで1年間の葛藤があったわけだから、実際は起こってみないとわからないことにまみれているんだな、この世界は。なんてことを思った。
そんで今ならわかること ってのは、答えは人の数だけあるってことだけだ。
自分の正しさは他人の正しさではない。
押し付けちゃいけないね ってことだけ。今ならわかること。
話し合いが出来ていたら、かっちの意思として確実なものがあったなら。私はそれに従順になってたと思う。
でも私とかっちは出来なかった。
お葬式どうするとか、お骨はどうしてほしいとか。棺に何を入れてほしいとか。
この話し合いが出来るご夫婦も勿論いると思うし、私はそれを素敵なことだとも思う。単純にいいな、羨ましいなって思ってしまう。
なぜかというと。納骨のことだけじゃなくて、かっちがいなくなってからの日々はどうしたって私がひとりで選ばなきゃいけない。
取捨選択のプレッシャー。何を捨てて何を選べばいいのか。かっちにはもう聞けない。間違ったらどうしよう。かっちの意思が欲しいよ ってどれだけ思ったか。
ほんと、どれだけ思ってどれだけ泣いたかわかんない。
今でも寝る前、目を瞑ってから取捨選択を間違えたような気になって、不安で眠れなくなることがある。
かっちは私が選ぶもの総てをたちまち正解にしてしまう。
これは事実だ。肯定しかされなかった事実が私を強くもしてくれる。
けど、それでも言葉がほしかった。
だから話し合いは大事だし、羨ましく思う。語弊があったらごめんなさい。嫌なふうに聞こえちゃったらごめんなさい。ちゃんと言語化出来なくてごめん。でもそう思っちゃった。

 

 

 

これから梅雨が明けて、本格的な夏がくるのかって思うと気が重くなる。

かっちとの楽しい夏の思い出を拾いに行こう!って毎年思うんだけど、結局4年目の今の今まで行けたことはない。ひよるし、臆病だし、分かった風なんだよなー私はいつもそうだ。直前で怖気付く。やんなるね。
今年はどんな夏を私は生きるんだろう。

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