かっちの実家はいつも落ち着く。
なんでかっちが今居ないのか とか錯覚してしまうレベルで落ち着いてしまう。
東京の家から持ってきたアルバムをみんなで見た。
まずは卒業アルバムから。
笑わせてもらったよ、また。
その後はお義父さん、お義母さんお手製の幼少期アルバム。
これをもらったのは結婚した時。2015年の頭くらいかな?急に送ってもらった。
送ってもらった日の夜のことは今でもすごく覚えている。
2時間は2人して笑ってたな。一枚一枚にツッコミどころが多すぎて、なんだよやんちゃかよwwwみたいな。
昔飼ってた名犬チェリーとの思い出話とか、一番心に残ってる家族旅行の話とか、お兄ちゃんお姉ちゃんの話とか、かっちの話だけ聞くとほんっと、どこにでもいる男の子 ってか男子 なんだ。
でも家族、兄弟、親戚一同揃って言うのは、
『ぼっちちゃん、かっちは優しかったでしょう。』
全方位で優しく在る人だった。
私の大切にしているものにもなんの疑問も持たずに優しくしてくれる。
かっちにとって理由は(ぼっちが大切にしているものは俺も大切)。
これだけで十分なのだろう。
でも優しさだけを持ってたわけじゃない。
優しさの中に強さが確かにあった。
甘い、柔い優しさと、それを覆らせない、肯定する強さ。
それらを共存させるのって実はとても難しいことなんだよなぁってことを私は知ってる。
私だってかっちの隣にずっと居たんだ。
だから私はこう答える。
『はい。底抜けに優しくて、それでいてとても強い人です。』