35度9分キタコレ。
やっとこ35度台に乗った。
お久しぶりですね35度台。お待ちしておりましたよ35度台!
私の平熱は35度6分とかその辺りをいつもうろうろしている。
いやはや長かった。
でも一応血液検査の結果を聞きに、月曜日はちゃんと病院いかな。
自分と全くの同じタイミングで妹も微熱をこじらせていたみたいで。
木曜日になんとなしに来た(おねいちゃん体調崩してない?LINE)で発覚。
妹も治っているといいな。眠って、起きたらLINEしてみよう。
なんかこういうこと多いんだよなぁ。
妹と私。
性格は全く違うけど、根本の部分?というか、笑いのツボ、泣くツボが一緒のことが昔から似ていて。
んで、お互い大人になって離れて暮らすようになってから、なーんか同じタイミングで体調を崩すことが多い。
こんな時、うちのお母さんは超大忙しになる。
うちのお母さんって、本当にやっさしいのよ。
優しいというか、純粋な人。
体調崩してるの!?→ほうっておけねえ→なんかこさえる→持ってくる
までのサイクルが尋常じゃなく早い。
何度も助けてもらった。
今は現在進行形か。助けてもらってる。最中だ。
この前だって電話かかってきて、(あーなんか微熱出ててさぁ~あ、でも大丈夫だよw)って軽く云っただけなのに、翌日にシチューと種無し葡萄とゼリーを持ってうちに駆けつけてくれた。
だから我々姉妹が一斉に体調崩すとお母さんの負担がぱないことになるのだ。
お恥ずかしい。いい大人なはずなのに。ほんとにね。
なんかこういうこと書いてると、結婚式に読んだ(両親への手紙)を思い出す。
かっちが私にくれた最高のプレゼント。結婚式。
その時に(ベタだけどやるか)と思って書いた手紙。
プランナーさんに『前日に書くと、書きながら泣いて目が腫れるケースがある。3日前までには書いておいた方がいいですよ。』って云われて、またまたww大げさなwwwとか思ってた。
いやはや。
本当に号泣しながら書くハメになるとは…
その時期に出た超特急のベッタベタな父親目線ウエディングソング、(Yell)のMV流しながら書いてたら気分が勝手に盛り上がってきたのである。殺傷能力ぱない。だが筆も進みもぱない。
はっとくか。いやこれなぜか父親の死までご丁寧に作られてるけど、その部分じゃないんだよ。幼少期のシーンとかが、とても、よい。
いやー音楽ってすごいですね。てへぺろ。
3日前で本当によかった。ありがとうプランナーさん。
お父さんとお母さんへの気持ちをそのまま文にした。
ちょっと勝手に振り返りたくなったから振り返るね。
多分ここからまじでどーでもいい家族話しかなくなる。メンゴ。
まずはお父さんのターン。
うちのお父さんは私や妹が産まれた頃、超多忙で毎日午前様だったようで。
でもそれを知ったのは私たち姉妹が大人になってからのことだった。
なぜならばそんな超多忙と思わせないほど、家族でおでかけしまくっていたからなのだ。(ここにワンピース風なドーン!という効果音を是非足したい)。
夏休み、冬休み、時には春休みにも旅行に連れていってくれて、沢山の色んな景色を見せてくれた。
ちょっと恥ずかしい話書くね。
未だに忘れることが出来ない話。小学校3年生の頃。
横浜かどっかのバスツアーを楽しんだ我々家族。
下車する時にツアー参加者の1人が我慢できずに嘔吐してしまった。
それをなんの抵抗もなく迅速に処理しつつ優しく声をかける添乗員さん。
そんな光景を見て、私は、バカな私は、本当にバカだった私は、
『うっわー大変だ。でも仕事だからしょうがないよね。お金もらってるんだもんね、これくらい当然なんだろうね。』と云った。
ばかばかばか!!!本当にバカで世間知らずな子供である。書いててまじで恥ずかしい。
そんな私をお父さんは怒鳴りつけた。
『お金を払っているんだから何をしても許されるなんて今後一生思うな』
『具合を悪くして、それでも我慢出来ずに嘔吐してしまった人に対してお前はそんなことしか思えないのか』
バスを降りてから、引くほど怒られた。
怒鳴って怒られた後、『心無い人間になってほしくないんだ』とゆっくり、時間をかけて悟された。
いやーほんとに恥ずかしい。でもこのことがあってから、確かに少し私の自我的なものが動いたような気がする。
今でも思い出すと苦くって恥ずかしくって、イーーーってなる思い出だけど。
まぁ、そんな風に家族に寄り添っていてくれていたから、毎日午前様な生活だとは全く思わなかった。
寂しいと思ったこともなかったし、なにせ私は生粋のお父さん子だったから。
いっつもふざけた事しか云わなくて、ヘラヘラ笑ってるのに、いざ!って時はかっこよく締める。
そんな漫画の主人公みたいなお父さんがずっと憧れだった。
だからかなぁ。反抗期みたいなものが私にも妹にもなかったように思う。
次、お母さんのターン。
うちのお母さんは過剰なまでの(自分のことは後回しタイプ)。
デパートに買い物とか行ってもいっつも私、妹、お父さんのもので終了。
自分のはほんとにちょっとだけ。
それがなんていうか、上手い云い方見つかってないんだけど、嫌味な感じじゃないんだよね。
過ぎる自己犠牲って、相手によっては重荷になったり嫌味に感じ取れてしまうことって世の中多いんだなぁって思ったのは、これも大人になってから。
お母さんの与えてくれたものは、自己を犠牲にしたものではなく、ただ単純な(みんな喜ぶかなぁ)って思いひとつで成り立っていたんだなぁって。
それってすごいことだよね。いくら身内でも私だったら恩着せがましさが少しは見え隠れしてしまうと思う。あざとさ とか。
あとお母さんを語る上で欠かせないワードが(お裁縫)。
お母さんは手先がものっそ器用で、よくワンピースとかを縫ってくれた。
それを着て学校に行くのが本当にたまらなく好きだった。
(私は世界で1着のお母さんが作ってくれた洋服を着ている。誰もこれは着ていない!)
みたいな。これもまた自我の動きか。
分かり易い子供だったから、単純にお母さんが自分のために作ってくれたのが嬉しかったってのがいつも先頭にあったけどね。
そんな底抜けに優しいお母さんがずっと支えだった。
今もか。今も支えのひとつ。
ぶわーーって打ち込んでたら想像以上に長いことつらつらしちゃった。
はずかし。まあいいか。
今週末はみんなで焼肉食べに行くんだ。
かっちも好きだったあのちょっと遠い山奥の焼肉屋さん。
かっちは初めての陶板焼きに夢中になってて、それを見るお父さんとお母さんの目が優しくて、あったかくて、あーなんか。
なんだろうね。
家族って減るものかと思ってたけど増えるもの。
そう思えて俺は嬉しいなって思ったよ。
前にお父さんがそう、私に云ってくれた。
みんなでディズニーランドに行った後。
かっちも妹旦那ちゃんもいい子で、本当に大好きなんだと。
当たり前のことだけど、私だけじゃない。
みんな辛い。
みんな、かっちが居なくなって、悲しい。
まだ余裕で頭数に入れちゃってるよ私は。
減った なんて思いたくないって思いしかない。
またあの、焼肉屋のみょうちくりんな看板見て笑うんだろうな。
かっちの入れたほわんとした突っ込みを思い出しながら。
笑うよ。