思いつきでDVDでも流しておこうかなぁと思って、棚からDVDを選んでいた。
ダウンタウンのまっちゃん廃旅館罰ゲーム これは何度も見てるけど、何回目でも面白いやつだ そう思ってセットして流していた。
でもあれね、ダメね。
かっちは大のダウンタウン好きで、中でもこの廃旅館が一番のお気に入りだった。
だから2人でも腐る程見た。
しかけの順番そらで云えるくらいに見尽くした映像。
でもお互い毎回おんなじところで笑う。
最初のブーブークッションのくだりのところで映像を止めた。
なんでここに居ないのか。
なんで一緒に笑ってないのか。
居るのが当たり前だった空間と時間は、
無情すぎるほどそのまんまで。
私だけなんかどっかおかしいみたいだ。
かっちの好きなものは大体私もすきなもの。
なのに共有していた楽しさは変わらずそのままそこにあるのに、
かっちが欠けた私じゃ同じように楽しめない。
寂しくなって、苦しくなって、悲しくなって、それが悔しくなって、おしまいだ。
我慢しなきゃいけない。
耐えなきゃいけない。
でもあとどれだけかっちが居ない生活を我慢しなきゃいけない?
幸せに楽しく過ごす40年と、我慢しながら過ごす40年は体感時間が違うと思う。
時間が多少なんとかしてくれるもんだってことを考慮しても、耐えられる気は毛頭ない。
でも自分で死んじゃうのはナシ なんだとしたら、どうしたらいいんだろう。
時間が流れれば流れるほど、思い返すことや、ふいに思い出すこと、意識がはっきりしてきて見えてきたもの、沢山ある。
喋ることができて、笑うことができる。
どんどんどんどんしんどくなる。
時間がなんとかしてくれる ってのはどれくらいからなんとかしてくれるもんなんすかね。
どんどん追い込まれているような気がするのは気のせいですかね。
自分がちぐはぐな存在に思えてきて、堪らなくって、どうしようもない。
街中にクリスマスの空気が漂ってきた。
去年はラーメン食べて、帽子屋さんでお互いの帽子買って、家でピザ頼んで食べて、お笑い番組見ながらケーキ食べて、ノンアルのシャンパン飲んでた。
今携帯のカメラロール見てた。
かっちも私もでら楽しそうだった。
楽しかった。
かっちはあれが最後のクリスマスだったなんで思って過ごしてなかったんだろうなぁ。
まぁ私もそうだけど。
私はこんな時も(私が寂しい)って考えちゃうのがいやだ。
かっちの立場だったら多分もっといやだと思う。
残していく側の方が6億倍くらいいやなんだって思う。
でもこっちだって、残されちゃった方だって、私だって、いやだ。
私のことを私が(いやだ)って否定するのもいやなんだけど、なんかもう全部いやなんだ。
とっちらかりメンゴ。