白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

牡蠣にはなれない鍋焼きうどん3

翌日の大晦日。

妹と妹旦那ちゃんを迎えた。

お酒とかお菓子とかの買出しに行ったりして、調子はまぁまぁって感じだった。

 

 

 

家に帰り、自室でぼうっとしていた。

大晦日に実家に居ることなんて何年ぶりなんだろう。

元旦にかっちと一緒に帰ることはあっても、年越しを実家で迎える。

しかもかっちが居ない。

違和感しかない自分の脳内と体は、いつだってちぐはぐだ。

変にそわそわしてしまい、落ち着きがない。

そこに妹が入ってきた。

『おねいちゃん今日ずっと元気ないように見える』と。

『どうかした?って聞き方もアレだけどなんかあった?』と。

察しのいい奴。

ほんといい奴。

ずっと普通で居られてると思ったのに、今思えば何が(普通)なのか私にはわからない。

自分を俯瞰で見ることが出来なくなっていた。

それはきっと今もだけど。

 

昨日の 牡蠣と鍋焼きうどんの変 についてぽつぽつ話した。

別に何をどうしてほしいとか、こうしてほしいとか、そういった気持ちはこれっぽっちもないんだよ。

私が勝手に思ったことで、それが主観になって話しているだけの話だからね。

と、小賢しい前置きを付けて。

いらないんだろうけどなぁ。こういうの。

親とか妹とか、友達とかには。

でも、こういう補足めいたこと、云っちゃうんだよなぁ。

こわいんだ。

自分の発したことで誰かが傷付いたり、悲しくなったりするのがこわい。

そんで、もっと正直な汚いこと云うと愛想尽かされるのがこわい。

こういうこと書くと、私はかっち以外信じていないのか とすら思ってしまうけど。

いつもかっちだけは私の正解だったから。

それ以外にてんで疎い。

ごめんね、ややこしくて。

でも私きっとずっとこうだ。

きっとずっとこう。

唯一って自分にとってはこういうことなのだ。

 

 

 

その後、話場所をお風呂に移した。

私と妹は未だに一緒にお風呂に入る。

うちに泊まりに来ても、妹んちに泊まりに行っても、なぜか一緒にお風呂に入る。

その中で色んな話をいつもするのだ。

その日も色んな話をした。

お風呂はいい。

泣いてもあんまり(泣いてるぜ!感)がしない。

湯気GJ。

お湯GJ。

水音GJ。

総てのお風呂にスタンディングオベーションだ。

 

勿論、お父さんお母さん妹に、胸の内全部を曝け出せてはいない。

でも、今の私にとっては十分すぎるほど、気持ちを伝えられた。

きっと拙かったけど。

やっぱり心の中で(総てを言葉にして曝け出す必要なんてない)って思ってる。

これは誰に対しても。

それすら思わなくなってしまったら、きっと私は私をただ忌み嫌いながら生きてゆくことになるんだろうな とすら思う。

それはいやだ。

 

少しは自分のことを認めてあげなきゃな。

がんばってるよ、私。

がんばれ、私。

 

フレー、フレー、わ・た・し!

がんばれ、がんばれ、わ・た・し!

まけるな、まけるな、わ・た・し!

ビバップの大好きなシーンを思い出した。

自分が10年後の自分を応援するシーンだ。

思い出すと泣いちゃう。

アニメのシーンも、お風呂に入ってた時の自分も。

 

 

 

 

 

その日の夕食は、宣言通り牡蠣鍋。

牡蠣フライに手を伸ばして、食べた。

過去に食べた牡蠣が本当に牡蠣だったの?と思うくらい、その牡蠣は美味しかった。

苦手だったえぐみもなくって、牡蠣に対するイメージが変わった。

鍋の牡蠣はそんなに食べられなかったけど、なるほど、こういうこともあるんだなぁって実感した。

 

私は牡蠣を美味しく食べられたし、無事に年を越えることも出来たのだ。

 

 

 

 

 

翌日、昼ごはんに出てきたものはあの鍋焼きうどんだった。

見せてもらっていた可愛い花柄の土鍋に入っていた。

かまぼこ、ネギ、しいたけ、たまご、ほうれん草に海老まで入った超豪華な鍋焼きうどん。

かわいそうな奴に仕立て上げてごめんね。

道連れにして悪かったね。

でも、美味しく全部食べられた。

 

そうして、当たり前にかっちも私も知らない2017年が始まった。

 

 


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