白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

19:20前夜のひとりごと

自分の時もそうだった。

誕生日前日の夜が一番きつかった。

私には何回もの幸せな日付変更線の思いでがあるから。

今は明日くる、かっちのお誕生日前夜。

0時を廻れば、お誕生日だ。

何にも云いたくない。

何にもしたくない。

なんで どうして

沢山頭の中で流れてた言葉たちだ。

なんででも、どうしてでも、もうかっちは歳を重ねない。

命日も誕生日も、もう私の中から一生消えることはないんだろうな。

日にちだけど。もっと云えば数字の並びだけど。

それでも絶対消えない数字だ。

 

 


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今日はギターを弾いていた。

曲を作っていた。

あれから、1曲作れてから、何かが変わった。

するすると歌詞が出てくる。

曲も出てくる。

逃しちゃいけないような気がしてギターとペンをずっと抱えてた。

 

 

 

 

 

 

それから整体に行った。

てか、最近ぽつぽつ書いてはいるけど整体、結構詰めて通っているのだ。

 

元々腰痛持ちで、かっちの闘病前から通ってた。

踊ったりもする人だったから、体幹良くしたいってのもあった。

でも、2015年の12月辺りから全く行かなくなってた。

気にならなくなっちゃったんだよね。

自分の体のどうのこうのが全部霞んでしまうくらい、かっちのことで焦ってたし恐かったし不安だったし、かっちに対しては私の出来ること何でもしたかった。

今だからこうやって考えられるけど、当時はそんな概念もなかった。

当たり前にそう思うの。

んで気にならなくなってくの。

みんなそうだよな。

きっと、みんなそうだと思う。(思いたい)

 

 

 

んで先月、近所の商店街歩いてたら見覚えのある外観な接骨院があった。

新しく出来たっぽい接骨院は前にお世話になってたとこと外観が瓜二つ。

入って、(系列店だったんだ!)とはっきり認識した。

その時何度か施術してくれてた先生とも再会出来た。

そんなありがたい縁で、今は近所の接骨院で矯正をしてもらっているのだ。

 

私の体の歪みは相当な酷さだったようだ。

自覚はあった。

何度通っても根本がなかなか良くなってくれない。

今もまだ根元からの矯正治療中。

少しずつ、少しずつだ。

しょうがない。おざなりにし過ぎたんだなぁと。

 

眩暈に体の歪みに、なんかとことん不調過ぎるねwww

こんなに虚弱じゃなかったんだけどなぁ。

確かに腰痛はあったけど前はすんなり癖付けされたしさ。

病弱自慢がしたいわけじゃないんだまじで。

でもなんか見ててやだなーって思わせちゃったら謝るね。

ほんとメンゴ。

ただ、自分のポンコツっぷりに自分でも笑えるし、呆れてるってだけ。

それだけの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりにゆず聞いた。

昔大好きだった。

このライブも行ったなぁ。

かっちはそんなに聞かなかったけど、北川さんの月9は毎週2人で笑って見てたww

www.youtube.com

 懐かしいなぁ。この曲、トビラの中で一番好きだったなぁ。


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厄払いと鴨と鯉

私は今年、所謂【本厄】ってやつだ。

しかも大厄と云われる歳。

今まで厄払いなんて行ったことなかったし、意味なんてないって思ってた。

正直今でもちょっと思ってる。

かっちが居なくなる以上、または同等の災難 というか悲しいことなんてもうない。

そう思っちゃってるからだ。

でも周りは『大厄だろう。厄払いに行きな』って云ってくれる。

 

ということで人生で初めての厄払いに行って来た。

 

 

 

 

 

 

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めっちゃ鴨。

あと鯉がいっぱい居た。

とにかく神社は寒かった。

 

 

 

手続きを済ませて案内された部屋はとても暖かかった。

厄払い、なんらかの祈願、合わせて50人はいたかな?1月ももうおしまいなのにやっぱり多いんだなぁ~って思った。

 

 

 

 

 

総て終わって、帰りにお守りとお札をいただいた。

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お団子食べながら帰った。

 

 

 

家に帰ってまず、飾る位置なんかを調べた。

お札が正面向いた状態で南か東に向いてるとイイネ!って書いてあったので、携帯のコンパスで南を調べて、目線よりも高い本棚の上に置いた。

 

 

んで、かっちに(厄払い行ったよ)報告。

やっぱりさぁ、自分の家族とか友達が病気になったり事故に合ったりしたら嫌だもんなぁ。

そんな、儀式中に思ったことを伝えた。

去年前厄だったのに何にもしなかったなぁ。ごめんね。とか。

別にしなかったからこうなりました!って本気で思ってるわけじゃないよ。

でも、気にするべきだったのかもなぁってちらりと思っちゃってるのは事実で。

自分にくればいいのにね。

全部自分にくればいいのに。

って云うと、きっとかっちは(なんでそんなこと云うの~もう!)って云うからな。

云わないでおこう。

 

リアルな会話を想像すると、するりと出てくるリアルなかっち。

そんな調子で、声が聞けたらいいのになぁとか、触れたらいいのになぁとか、そんな思いは尽きない。

 

それはいつもの私。いつもいつでもかっちに会いたい私だ。


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ただ(普通)でいたかっただけ

木曜日から実家に帰っていた。

年末の大掃除のやり残しなんかもあったし。

2日間居て、なんか前と違うなぁって思った。

多分違うのは私の気持ちだけなんだろうけど。

気持ちを少しでも家族に云えたことで、私の気持ちは少し楽に成れた。

自分の気持ちを知っていてくれているんだ という認識があるかないかだけで、それはまるで景色が違って見えるくらいの違いだ。

そんなこと思った。

 

 

お母さんの手料理を食べた。

最初の日はハヤシライス。

次の日はミートソースのスパゲッティ。

かっちはうちのお母さんの作るミートスパが好きだったなぁ。

ひき肉がぎっしり入ったやつ。

実家帰ると冷凍で持たせてくれることが多かったんだけど、解凍して2人でよく食べてた。

美味しい美味しい そう云って食べてた。

 

一昨日食べたミートスパもやっぱり美味しかったよ。

 

 

 

 

 

 

 

昨日は、お父さんとお母さんと外で昼ごはんを食べた。

天丼を食べた。

お父さんに『また痩せたんじゃないか?』って云われた。

実はこの前えんちゃんと会った時もおんなじこと云われていたのだ。

その時はすっとぼけたけど。

 

もう長いこと体重計には乗っていない。

お気に入りだったヒスのほっそいスキニージーンズがある。

かっちの闘病中、よく履いていたやつ。

結構ギリギリ入るな…って感じで履いていた。

長時間座るとウエストがきつく感じるくらいにサイズがギリギリだった。

えんちゃんが帰った後、久しぶりに履いてみたらするっと入ってしまった。

ウエストも余裕が出来ていた。

 

全く食べていないわけじゃない。

元より小食だった。

でも、やっぱりこのまんまじゃいけない。

えんちゃんがご飯に連れ出してくれたり、

お母さんがご飯を作ってくれたり、『足りないならお菓子いっぱいあるよ!』とか、『いちご買ってきたよ!あ、みかんのがいい?オレンジだってあるんだよ!』とか云って何かと食べさせようとしてくれている。

それを私はわかっている。

わかっているし、私も頑張らなきゃいけないって思う。

悲しい顔をさせるのはダメなんだ。

私が健康で居なければ悲しくなる人が居る、居てくれる。

それはすごくありがたいことだ。

 

でもなんでかうまくいかない。

もどかしいよ。すっごいいやだよ。

普通に成りたい。

けどまだまだ全然普通は遠くって。

てか普通ってなんだっけか。

私にとっての普通は、幸せな毎日だったから。

かっちが居ること大前提だったから。

そう考えると、もう私は普通には成れない。

戻れないんなら成れない。

 


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靴擦れさえも愛おしい

去年の今日はどうしていたかな。

そんな思いでカメラロールを辿る行為を最近してしまう。

自分の書いてた日記は冷静にまだ見返せないけど。

 

去年の今日は一緒に芋食べてた。

なんで芋wwwって思ったけど、その前日に答えはあった。

去年の昨日、私が友達んちに行ってその時にもらった焼き芋。

友達の実家からアホほど送られてきたものをおすそ分けしてもらったのだ。

それを一緒に食べてる写真がそこにはあった。

 

不思議だなぁ。

不思議な気持ちで写真を見る。

やっぱり物理で隣に居ないことが一番の違和感 というか不思議ポイントだ。

まだこんなんだよ。

いつになったら慣れる?

慣れる日くる?

それはそれでいやだなぁと思う。

かっちの座椅子を見つめながら、今思うこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラロールともう一個。

メモアプリにその日食べたもの、体調、副作用がどんなだったかを書き連ねていた。

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こんなの。

 

 

 

 

なんていうか。

すごく必死だった。

色んなことに必死だった。

かっちは自ら病気のことをあれやこれや調べたりしない。

調べたりすることを私が促したり強制したりしたくなかった。

 だから、必然的に私が調べる。

【扁平上皮 肺 脳転移】とか。

【ステージ4 肺 抗がん剤】とか。

履歴残しちゃったりして見つからないように、携帯から調べた。

検索魔だったね。いやほんとに。

私の放つ言葉と、お医者さんの放つ言葉がかっちの中では正しいことになる。

たくさんの検索結果に一喜一憂して、言葉を少し明るく、柔らかくしてかっちに伝える。

でもかっちと前向きでいられた日々は嘘じゃない。

かっちに大丈夫だよ と云った言葉は、私自身にも返ってくる。

自己暗示と云われればそれまでなんだけど。

無理して笑った日も勿論あった。それでも悲観100%ではなかった。

だって隣にはいつもかっちが居たから。

かっちが居れば、なんとでもなれる私の精神。

だから今こんななんだよ。

こんなボロボロ。

誰にもどうにもできない。

だって私のことなのに私がどうにもできない。

 

かっちが隣に居た時の自分まじつええって思うよ。

かっちの前で泣いたの2回だけだったし。

ずっとヘラヘラ笑って、一緒にがんばろうってスタンスを崩さなかった。

ほんと、今の自分からお花でも贈りたい。

心細かったね。恐かったね。優しくしてやりたくてしょうがない。

かっちを保たせられるの私だけだって根拠のない自信と図々しい責務に駆られてた。

実際、私がかっちに保たせられたんだ。

 

 

 

大好きだったし、今も大好き。

大切だったし、今も大切。

どこにこの気持ちを投げたらいいんだろう。

置いたらいいんだろう。

手探りで生きてる。

がんばらないといけないのに、動けない。

わかってるのに、動けない。


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縦のラインに相槌打つよ

朝。花瓶の掃除をしようと思って立った瞬間、激しい眩暈がしておもいっくそ転倒してしまった。

幸いクッションが隣にあったから怪我なんかは皆無だ。

けど、なんかこれってめちゃくちゃこわいことなんだなって実感した。

自分の身体に起こる異変。

ずっとそうだけど、不便だなとか、やっかい、ふがいないな、情けないな、とかそんな捉え方しかしてなかった。

痛い目みないとほんとのとこ、わからないんだな。

そんなこと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日はえんちゃんと少し会った。

年末年始の報告会的な。

あとは最近の体調のこと聞かれたり。

鍋焼きうどんと牡蠣の話をめためたな笑い話で出来たこと。

『俺も鍋焼きうどんのが好きだわwでも牡蠣も少し食べられてよかったじゃんww何よりちょっとでも気持ちを話せてよかったんだよ、お前。頑張った頑張った!』って寄り添った言葉をもらえたこと。

結構私の中で大きかったなぁって今思い返してる。

 

 

 

 

えんちゃんがいつもとちょっと違った雰囲気をまとって、お伺いを私に立てながら話し出した話に、私はちょっとした(ショック)を受けた。

 

前置き、というか補足を彼が話し出した。話の前に。これはめちゃくちゃ珍しい。

私は家族や仲のいい友達に対してよくやるんだけどね。小賢しい補足。嫌われたくない一心で。

『これを云ったからとて、俺がお前に対して嫌だとかどーこー思ってるってわけじゃないから』

『改めろよ って話じゃなくって、自覚しといた方がいいと思ったから話すんだからな』

と。

ってことは、今からされる話はえんちゃんが私に(嫌われたくない けど迷った果てに云いたい話) なんだろうな。

そんなことをうっすら考えながらなに?って聞いた。

 

 

 

えんちゃん曰く、私は話の途中や何も話してない瞬間瞬間で、恐ろしく冷たい顔をしているらしい。

意識がどっかに行ってるんだろうなぁって思って深く考えなかったけど、お前が(どっか行ってる)最中に話しかけると、刺されそうな冷たい目付きで『ん?』って反応する時がある。声はこっちを向くんだけど、目線はどこを見ているのか合わない。それがすっげーーーこわい。と。

 

 

まじかよ!なんだよそれ!

わりかしリラックスできるえんちゃんとのやり取りでそんなってことは って考えたらとてもぞっとした。

 

昔、かっち信者を経てお付き合いし始めた頃。

かっちに『俺、ぼっちの(ん?)がめっちゃ好きやなぁ。すっとぼけててかわいいんだよ。』って云われたことがある。

(ん?)が伝わり難いよね。

物事を聞き返すときのアレだ。

完全に無意識で放つことの多い(ん?)。

だからかな、すっごく嬉しかった。

 

 

対比じゃないけど、そんな思いでを私は持ってて。

 

好きだと云われた記憶。

かわいいと思ってもらっていた記憶。

かっちの好きだった私の無意識の仕草を、私は無意識に手放してしまったのか。

 

 

 

 

 

えんちゃんの手前、(そっかぁ。まじかぁ。超無意識だったわw教えてくれてありがとうwwwこわいね無意識!!)みたいに振舞った。

振舞ったところでこの人はこの人で私の色んな私を見てきた友達。

 

動揺は伝染する。

そんな私に対してえんちゃんはたくさん言葉をくれた。

 

お前が俺を刺しにかかろうと、お前自身を刺そうと、止めたり肯定したり見逃したりするよ。

そうやってお前の色んな気持ちを色んなやり方で受け止めてやりたいと思うんだ。

だからちゃんとわかっててほしい。

真人間でいたいし、真人間で在ってほしい。

俺はちゃんと生きていきたいし、ぼっちにもちゃんと生きてもらいたい。

俺もお前が生きる為に頑張るから、ぼっちもぼっちが生きる為に頑張ろうぜ。

 

 

えんちゃんはすごい。

文字面にするとこんなにこっぱずかしい台詞たちを完全素面で云えるのだ。

私もすごい。

文字面にするとこんなに云い難い言葉たちを真面目に云ってくれる友達がいるのだ。

 

グレンラガンか!って思う。

実際、前本人に云ったよきっと。『グレンラガンかよ!』って。

(えんちゃんと繋がってない私の友達は、私から聞くえんちゃんの話を聞いて彼のことを『アニキ』と呼んでいるwそんなレベルで熱さが天元突破なのだ。)

 

もっといっぱいもらったんだけど、これ以上は恥ずかしさとありがたさが同居してるから、私の中だけにしまっておく。

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、かっちは総ての唯一だった。

えんちゃんは所謂パートナーだった。

かっちと出会う前、私の総てがからっぽで、めちゃくちゃな私でしかなかった頃。

何度も差し伸ばしてくれた手を何度も振り切った。

自分ひとりでなんだって出来ると思ってた。

色んな人が着いてきたり、離れたりした。

自分勝手に傷付いて、たくさんの人を自分勝手に傷付けてきた。

えんちゃんだけは振り切っても、酷い言葉を投げつけても離れていかなかった。

その後、かっちと出会って、世界が変わった私。

えんちゃんはそんな私をずっと物理的にも精神的にも後ろから見ていてくれた。

何度その大きさに救われただろう。

ここにきて、返しきれない恩を後ろから感じている。

 

私を諦めないでいてくれている。

私が諦め切れなかった他人が、私を諦めないでいてくれている。

そんな事実だけが、今はありがたいし、優しい。

 


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(You Only Line Once)→(せやな)

最近よく聴いている曲がある。

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ユーリ!!! on ICEのED曲。

『You Only Live Once』

(人生は一度きり)という意味のタイトル。

(せやな)としか返しようのないこのタイトル。

 

何がよくてずっと聴いてるかというと、単純に曲がかっこいい。

疾走感と儚さが混ざり合ってて、こんな冬の寒い日に外で聴くのがぴったりだ。

 

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公式さんはショートバージョンしかなかった。

でもこれほんとにフルで聴いてもらいたい。

朝にも夜にもずっぱし合う。

アニメのED見て、聴いて、たまらずすぐitunesさんで買ったよ。大音量で聴きたくてしょうがなくなった。

 

私あるあるなんだけど、お気に入りの曲を買って携帯に入れるとちょっとした外出が少しだけ楽しくなる。

耳を塞いで、音楽に集中させて街を歩く。

それだけでも少し気分転換になる。

さながら気分は曲の主人公だ。

 

 

 

やっぱりいいなぁ。

音楽ってやっぱりいいなぁ。

ドキドキさせてくれる音は、昔も今も大事に自分の中とitunesさんの中にしまっておきたい。

 

 

 

 

 

かっちとカラオケいきたいなぁ(結局そこ)。

 

 


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