白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

キラキラしてた日々

私は多趣味だった。

収集癖もあった。

決してひとつひとつが深いわけではない。

でも、楽しいことや好きなものに囲まれた毎日は、そらもー楽しくて幸せだった。

世の中ほとんど敵ばかりだと疑って捻くれて、永遠の中二病(笑)みたいに尖って歩いていた19歳くらいの自分からしたらほんとびっくりするんだろうなぁ。

 

(毎日幸せ!)

(好きな人と一緒にいられて超最高!)

(好きなものも、好きな人たちも、キラキラしてるものも、かわいい、かっこいいものも、全部全部自分の手を伸ばしたら届く距離にある!)

 

誇張しているわけではなく、私は大真面目にこんなことを日々感じていたんだから。

 

ほんとうに幸せ者だったんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ続いている【私のいるもの・いらないもの戦争】。

というか、引越しをリアルのものにしてから更に拍車がかかった。

 

この前、私の玩具を売りに行ってきた。

2人で集めた本は8割捨てた。

捨ててしまった。

売りに行くという選択肢も、気力もなかったからだ。

今回も捨てようとしてたら友人に(試しに売りにいってみたら?)と云われて、軽いものばかりだったし、1人で集めたものだし、ってことで重たい重たい腰をなんとか上げてみたのだ。

 

 

売りに行ったのは、フィギュア2体とセボンスター。

数年前に収集にハマって、ずっと飾っていた。

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全部で約90個。

よくまあ集めたなぁ と、ケースを手に取ってまじまじ見た。

 

かっちと一緒にスーパーに行くと、

『ぼっち!ここセボンスター売ってるよ~』

とか、

『またダブりだったら笑ってやるよwww』

なんて笑ったり、

『宝石出るといいねw』

など、集めてる私を温かく見守ってくれてるかっちがいた。

(書いてて何度も何度も改めて思うことなんだけど、まじでいい男なんだよなぁ。なんでこんないい奴なんだろう。なんでこんな人が私を好きになったんだろう。唐突な惚気メンゴ。いつも思うことなんだけど、なんか今は書かずにはいられなかった)

 

 

ひとつひとつケースを手に取って袋に詰めて、出掛けた。

玩具屋さんは都内では有名なあの中古玩具屋さんが密集しているビル。

相場が全く分からなかった私は、1個90円でチョコ付きで買ったものだし、全部開封済みだし、なにより昔のものだから全部で1000円くらいだったらラッキーだなぁって思って査定に出した。

 

結果、セボンスターと引き換えに8000円が私の手元にやってきた。

なんでも昔のものの方が値段が高くつくらしく、一番高値が付いたものはなんと一つ200円だった。

 

査定してくれたお姉さんに『こんなに綺麗に沢山保管してるのに集めるのやめちゃうんですか?』と聞かれた。

『もったいないです』とも。云われた。

引越しするんですよね~と返したら、納得した顔で、他にもなにかあったら持って来てください と云ってくれた。

ありがとうございました。の後で、『引越し頑張ってくださいね』を付け足してもらった。

じわっと温かくなったあと、急に謎の寂しさが襲ってきた。

 

そうなんだよな。

引越しって頑張らないと出来ないんだよな。

何年ぶりなんだろ。

こわいなぁ。

 

躍起になって集めていたはずの玩具を売り飛ばした帰り道なのに、頭の中はずっとずっと引越しのことばかり。

かっちと引越しするはずだったのになぁ。

新婚旅行から帰ったら、物件見て回るはずだったのになぁ。

住む街は大体目星を付けていた。

私の実家の近くだ。

勿論私は最初遠慮した。

(かっちの実家から離れちゃうよ)って。

本心だったし。

でもかっちは、

『俺の実家よりぼっちの実家が近い方がなにかと便利だよ。子供のこととかも考えたら絶対ぼっちが帰りやすい+ぼっちのお母さんが来易い場所のがいいよ。

うちの実家だって特急乗っちゃえばすぐだもんw』

『あと職場まで1本でいけるし!余裕www』

って云ってくれた。

あーほんといい男が過ぎる。

なんだろね。

私の対人間、対男のハードルって限りなく高いんだろうな。

んでもうそれ、意識的に下げることって出来ないんだろうな。

あーあ。生き難い極まりないなぁ なんて、ちょっと口角上がった。今。


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やんなるどうしようもない祈りを

なにが どう 情緒不安定なのか。

ちょっと真面目に考えてみようと思う。

 

 

友達につまらないことで駄々をこねた。

いやな絡み方をしてしまった。

その時はそんなこと思ってないんだけど、というか自覚ナシなんだけど、

友達に『ぼっちちゃん今くっそ駄々こねてるじゃん』って云われてハッとした。

そんで、へこむのだ。

うわーーすごい子供みたいだった今の自分。

いやなやつだった。

最低。

 

へこむのは簡単だ。

文字面に起こすとたった3行程のことでアホほどへこむことが出来てしまう。

(八方美人をやめる)

(他人にどう思われてもいい)

そう思ったのは事実だけど、これじゃああまりにも極端が過ぎる。

でも自分自身をコントロールすることが難しい。

後からこうやって出来事をなぞって、振り返って、あの時アレがあかんかったな とか、

こういう伝え方をすればよかったのに だとか、

反省会は捗ってしまうのがこの今の現状。

 

幸いなのは多分この友達が(これくらい)のことでは離れない ってことだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

急に面白おかしくなったり、泣き出したり、他人みたいに感じたり。

あらゆる感情にはそれぞれ名前が付いていて、それを短い時間の中で自分1人でやってのけるわけだから、なんか毎日が疲れる。時間の流れが疲れる。

疲労感を抱えたまま、それでも飲んでしまう。

飲んで、すごい飲んで、ふらっふらで家に帰って、ベッドの中に潜り込んで、かっちを探してしまう私はバカだ。

やり場も置き場もない。

あるのかもしれないけど、見つけるのがきっと壊滅的に下手なんだな。

そんでその場所に向けて放つ言葉もエネルギーも、実は持ち合わせてない。

からっぽだよ。

今だって思いつくままにこうやってキーボード打ってる。

これを後で読み返すんだよなぁとか薄らぼんやり考えながら、回ってない頭で少しだけ考えて文字にしている。

ただの文字で、ただの言葉。

でも自分自身に刺されることもあるよ。

なんてダメなやつなんだと思う時すっごいある。

結構いいやつじゃんって思う時もたまにある。自分自身の言葉で、そんな気付きに躓いたり励まされたりすることがある。

だから書いてるんだろう。

だから言語化しなきゃ ってひたすら思うんだろう。

もっともっと、だらしのないくらい他人に頼って縋れたら、それはまた今とは違った私なのかな。

それを私は望んでるのかな。

かっちはどうだろうな。

やっぱやかな。

 

こんな不毛なことずっと考えてる。

とことん学ばないなぁ。

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1:54ひとりごと

ここ最近わかり易く情緒不安定だ。

引越しと一周忌のことで胸も頭もいっぱいいっぱい。

ライブ楽しかったのになぁ。

楽しめたのになぁ。

本番待ちながらね、外でメンバーとぼんやりアイス食べてたの。

ぬるい風が吹いてる中で、その時(あぁ、今私バンドあってよかったなぁ)ってなんとなく思ったの。

立てるステージがあるってことが、歌える詩があるってことが、今の私には救いに感じたの。

糧に出来ないなら枷にするよ。

立ち上がれない日があってももういい。

誰にどう思われたってもういい。

今の私は今の私でしかない。

わかってるのにやんなる瞬間がふいに降ってきて、たちまちたまんなくなる。

去年の今時期は私のお父さん、お母さん、妹、妹旦那ちゃん、かっち、それから私でディズニーランド行ったなぁって。カメラロールをずっと指でなぞってた。

体調のことを考えてスターライトでの途中参加だったんだけど、超楽しかった。

バカみたいな被り物をして、私のTシャツはフック船長でかっちのTシャツはミッキーでさぁ。

みんなに出オチで笑ってもらおうと、途中参加のくせにめっちゃ2人で張り切ってた。

結果みんな大爆笑してくれた。

『超エンジョイ勢みたいな格好しやがってwww』みたいな。

私はかっちが楽しいのが楽しいし、嬉しい。

かっちは私が楽しいのが幸せなんだって。

会いたいなぁ。

会いたくて会いたくて会いたくて、どうしたらいいのかわかんなくなる。

頭おかしくなりそう。

(どうしたら)ってなんだよって話ですよ。

どうしたってもう会えないんだよ。

もう会えないんだ。

でもそんなのすっ飛ばしたいの。

すっ飛ばして、すっ飛ばした先で会えるんでない?

とか、またバカみたいなこと考えるの。

ありえないってわかってるのに。

私わかってるよ。

わかってるんだけど、わかんないの。

かっち不在のこの世界はとことんやだよ。

やだにまみれてて、それがもうやだ。

今日夢見たんだ久しぶりに。

病気とかなんもなくって、この部屋でTHE☆日常風景 な夢。

かっちが絵を描いてくれてた。

コピッククレパスと色鉛筆を使って、紙をくるくる左右上下に動かしながら、絵を描いてくれてた。

あれは何の絵だったんだろう。

せめて完成系を見せて欲しかったなぁ。

夢のくせにケチだなぁ。

そんなことを起き抜けに思った。

思って、また泣いた。

 

 

 

youtu.be

最近ずうっとこの曲聞いてる。

数ヶ月前、友達に薦めてもらったんだけど、今のタイミングで聞いたらなんかもう胸を掴まれてしまった。

2:50辺りからのリリックが刺さり過ぎて、何度でも聞きたくなってしまってループしている。

 

勝手に(ありがとう)って云いたくなるような、そんな曲だなって思った。


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衝動と現実と事実

それは衝動的だった。確実に衝動。

 

 

 

 

整骨院帰り。最寄駅前をぷらぷら歩いていた。

全国展開している不動産屋さんの前を通りがかった。

最近出掛ける先で不動産屋さんの前を通る度、いつもこうだ。

なんとなく張ってある間取り図を見て、なんとなくわかったような気になって、なんとなくを持ったまま、そのまま帰る。

でもその日は違った。

間取り図の上に(〇〇←今住んでる駅名 以外の物件も充実豊富!)みたいな謳い文句。

それを見て、引っ越すならここじゃないどこかに私は住みたいんだと。

なんか確信してしまった。

そんでそのままふわっと扉を開けた。

 

 

 

ふわっとした、衝動的に扉を開けてしまった私の相手を村上さん(仮名)はほんとーーーーに根気良く付き合ってくださった。

今思い返すと冷やかしだと思われても仕方のないような態度だったのだ。

 

特にこれといった条件がない。

決めているエリアもない。

家賃相場がてんでわからない。

自力で調べてもいない。

つまりは、軸が私には全然なかった。ふわっふわ。

話していくうちに、手探りで見つけていった感覚だった。

 

 

何件か見させてもらう中で、2件にまで絞ることが出来た。

そこでその日は打ち止め。

友達や親などに客観的な意見を聞かせてもらって、そんで決めようと思っていた。

 

 

 

 

 

 

帰り道。ぼんやり考えた。

かっちの遺骨、今月の末にはもう実家なんだよね。

一周忌が終わるまでここに住む ってなったら、かっちがずっと居た空間に、正真正銘私だけになっちゃう期間が1ヶ月もあるのか。

勿論、遺骨だ。

骨。かっちそのものではない。けど、かっちの。かっちの骨だ。

がらんどうになったかっちコーナーを見て、

私はきっと泣くんだろうな。

またどうしようもなく泣いて、また立ち上がれなくなったらどうしよう。

引越しが出来なくなったらどうしよう。

私は私自身に対してとことん自信がない。

(大丈夫!私強くなるから!)なんて立派なことが云えないし、思えない。

想像も出来ない。

じゃあ、もういっそいいか。

かっちの遺骨と実家に帰る直前か直後に、引っ越そう。

そう思った。

単純だなって笑うかな。

ぼっちがそう決めたんならなんでもいいよって云うかな。

でもきっと、この言語化出来ないような寂しさとか切なさみたいなものは、きっと共有出来る って、なんとなく思った。

かっちとしか共有出来ないんだけどね。

とどのつまりは私の想像の中の世界でのお話だ。

いっつもこんなん。

こんなんだけど、考えないよりはましだ。

そう思って今日まで、なんとか、今もかろうじて現実世界で生きてる。

 

 

これが6月1日。木曜日のこと。

そんなこんなで、ようやっと引越しを現実のこととして受け入れ始めた。


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36.2℃

昨日の夜は週に1回ペースで入ってるスタジオ練習の日だった。

もうちょっとでライブがあって、そのライブ前の最終スタジオ。

通し稽古ってやつだ。 

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スタジオに搬入していく機材や小道具の数々。

写真はおだやかでないパトライトwww

 

 

 

 

すごく冷静に考えてみた。

ライブ、めちゃくちゃ久しぶりだなぁって。

記憶カムバック用のツールとして大活躍な私のカメラロールを遡って見てみたら、多分最後にやったライブは2016年の1月。

かっちの病気が分かって、闘病中はスタジオやライブのペースをかなり落としていたんだけれども。

 

もう約1年半もやってなかったのかぁって。

そんなことを行きの電車で考えていた。

 

 

 

 

 

 

昔、今よりもっともっと、遥かに精力的に動いていた時期にかっちと私は出会った。

週3回スタジオに入り、ライブも毎週末。他の時間は曲作りとバイト。

売れたい って思って、音楽だけで稼げる人になりたい って夢を見ていた時期。

ちょうどその頃、動員を少しでも多く集めないといけない2マンライブがあった。

しがないインディーズバンドだ。

動員集めに躍起になってお客さんだけではなく、バンド仲間や普通の友達まで誰彼構わず誘いまくっていた。

まだそこまでの親密度ではなかったかっちにも声を掛けた。

 

ぼっち『大事なライブがあるから出来たら来てほしいのだけども…』

かっち『いいよ、いくよ。』

 

確かこんくらいの小さなやりとり。

社交辞令みたいな、消え入りそうなやりとりだった。

なんでこんなこと覚えてるのかって云ったら、私は(社交辞令)だと思っていた誘いを、かっちは(社交辞令)にしなかったからだ。

何時から

いつ

どこで

どんなイベント

これを深く聞かれなかったから、(あぁ、来てくれたらラッキーだな)くらいにしか思ってなかった。

なにせこの頃天井人だったからね、私の中のかっちは。

 

 

当日、メンバーみんなで頑張った甲斐もあって箱は人でいっぱいになった。

曲を何曲かやって、MC。客電がうっすら点いた時、後ろの方にある自販機に体を寄せているかっちを目視して、そらもーびっくりした。

(ほんとうにきてくれたんだ!)

(私のために忙しいのにきてくれたんだ!)

そんな気持ちが一瞬ぶわぁと私の身体中を駆け巡って、んで、嬉しくなった。

 

 

ライブが終わって、お客さんに挨拶やお礼を云って周ったり、新規でCDを買ってくれるお客さんたちと話を一通り終えてから、かっちの居た場所に向かった。

かっちはなんでもない風に『ぼっちすごいんだねぇ~。すごい、ちゃんとやっててびっくりした~w』と能天気にコーラを飲んでいた。

(大事なライブ)と私が云ったからか。会社の中で音楽通と云われている友達まで連れて来てくれていた。

HPとかで予定をチェックして、調べて来てくれた。

嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

だからすごく鮮明な記憶として今も私の中に残ってる。

 

 

結果、その日のライブは動員数も内容も物販の売り上げも(かっけえ)結果で終わることが出来た。

かっちが私のライブを見にきたのは、これを含めて多分4,5回。

かっちが教祖様になって、

かっちのことがひたすらなんでも知りたくなって、

かっちと付き合うようになって、

かっちが教祖様じゃなくなって、天井人でもなくなって、

気持ち的に少し対等になって、

ただの彼氏になったら途端に恥ずかしくなった。

 

やっていることに対しては(かっこいい音楽やってますよ)なんてペロッと云えていたのに、かっちの前ではどうにもダメだった。

なんか女の子で居たいみたいな、そんなお花畑脳全開な+少女漫画思考になってしまうのだ。

だから『毎回はぜったいぜったいこないでね!』って謎の念押し。

『はいはいw楽しんできてね~w』っていっつも笑顔で送り出してくれてた。

そういえば音楽のことに口を出されたことって1回もなかったなぁ。

その頃から完全にかっちは(ぼっちが楽しいのが嬉しい)の人だったんだなぁ。

そんなん逆立ちしたってかなうまい。

菩薩かよ。

何度も思ったけどさ。

この人、人生何週目なんだろうなぁ~とかバカみたいなことよく考えてたなぁ。

 

 

 

 

(この人の人生に関わっていたい)

(あわよくば、なれるんなら大事なパーツになりたい)

って思ったの、生まれて初めてだった。

人生に深く関わらせてくれてありがとう。

きみの大事なパーツとして存在出来て、心底嬉しかったんだよ私。


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絵空事

今日は暑かったなぁ。

春はどこにいってしまったのだろう。

ゆっくりゆっくり、思い出したり蓋をしたり。

なにがしたいんだか。

わからないんだけど、そうやって生きてる。

どうしたって会いたいし、

どうしたって恋しいし、

苦しい。

ずっとこの息苦しさをまとって生きていくのかな。

生きていけるのかな。

死ぬまで生きるんだろうな。

そらそうか。

目の前で見てたよ。

死ぬまで、頑張って生きてた。

あんなには、頑張れないかなぁ。

あんなに頑張る自分を自分がイメージ出来ない。

日本人でよかった。

四季があって、季節を楽しめてよかった。

今まで平和惚けした世界の中そう思って生きてきたけど、

季節なんて片っ端からなくなっちゃえばいい。

今日、初めてそんなバカみたいなこと思った。

思いながら、花を買って、帰り道を歩いてた。

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鐘みたいで可愛かった。

カンパニュラ って花だって。

花言葉は(感謝)(誠実)(節操)。

 

 

 

これからかっちとさしのみだ。

そんな月命日の夕方。

今が不安定すぎて、目の前至近距離のことしか把握出来ない。

私どうしよう。私は私をどうしようか。んね、かっちさん。


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赤いきつねとゆりかもめ

なぞる記10

 

 

脳の手術を終えてからは、(食べることへの感情を取り戻す)ことからのスタートだったと思う。

脳にあった腫瘍のせいで気持ち悪く何を食べても吐いてしまっていた。

テーブルに置いたご飯を見ながら(どうしよう、食べなきゃって思ってはいるんだけど…)っていうような会話を何時間も続けたあの期間。

食べることがこわい ってなってしまってる気持ちを、どうやって戻そうか色々考えた。

突破口は(赤いきつね)だった。

 

食事制限はかかっていなかった。

寧ろ、(食べたいと思う、食べられるものを食べてください)と云われていたので、退院の日、帰りのタクシーの中で『かっち、今日なに食べたい?なんならいけそう?』って聞いてみた。

すると、『なんでだろ、なんでだかわかんないけど、赤いきつねだったら食べられそうな気がするんだよね』とかっち。

おい!!!私の!!!手料理じゃないのかよ!!!!!って全力で笑って突っ込んだwww

かっちは『いや違うんだよwwぼっちのご飯も食べたいけどまた吐いちゃったらごめんだし、なんかあのお揚げが急に食べたくなって…www』と必死にフォローしていた。

ぼっち『いいでしょう!

私がお湯を注ぐことによって通常の3倍美味しくなりますからね!』

かっち『え シャアなの…?ぼっちシャアだったの?』

ぼっち『いやほら赤いきつね だけにね…』

そんなアホなやりとりをして、セブンイレブン赤いきつねを2人分買って帰宅した。

 

かっちのお揚げさんへの情熱は本物だった。

ほぼ食べられたのである。

最初は(家で食べるの大丈夫かな、ちょっとトラウマになっちゃってないかな)と私は不安に思っていたのに、あっさりほぼ完食。

嬉しそうだった。

ご飯食べることが好きなかっち。

私も久しぶりにかっちがご飯に前のめりになっている姿を見て、嬉しかった。

 

そんなこんなで、トラウマも恐怖症的なものもなく、あっさり食への感情はかっちに戻った。

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療がこれからやってくる。

そんな状態だった4月の半ば。

お医者さんや病院に慣れていなかった我々。

かっちはセカンドオピニオンをすることに『でもなんか今のお医者さんに悪くない…?』と気にしていた。

うん、わかる、すげーわかる。ちょっと前の私もそう思っていたからだ。

 

絶対的調べマンになっていた私は、

セカンドオピニオンはしたほうがいい

・可能性や選択肢が広がることもある

・今はお医者さんが薦めることもある

・なにより いのちだいじに なんだよ

と、不安がるかっちを説得。

私は少しの期待を持ってセカンドオピニオンに挑んだ。

毎日病気について調べて、見る記事やブログで一喜一憂していたけれど、まだまだ全然詳しくなかった。

ググったくらいじゃわからない、もっと色んな可能性があるんじゃないかって思ってた。

 

 

主治医の先生に『抗がん剤治療の前にセカンドオピニオンを受けたいんですけど』と切り出すと、『そうだね、いってらっしゃいな』と、資料や紹介状を手早く用意してくれた。

かっちに、『ね、もうセカンドオピニオンは普通のことなんだよ(ドヤァ)』とドヤ顔を放ったら『うぜえwwwその顔うぜえww』と笑われた。

大丈夫。笑える。笑えてる。

今思い返すとなんでもないような、こんなバカみたいなやりとりがほんとーーーにほんとに愛おしくてしようがない。

すぐに出てくる。かっちの顔も、仕草も、声も。

 

 

 

 

有名なデカい病院に行ってきた。

癌の病院。

メンバーはかっち、お義父さん、お義母さん、ぼっちの4人。

その病院はなんかもうすごかった。

呼び出しの機械?みたいなの渡されて、順番がきたらその機械が鳴るシステムになってるから、病院内どこに居ても大丈夫!みたいな。

とにかくハイテクさがすごかった。

あと、ここに居る人たちみんな癌を患っている人と、その家族なんだ ってこと。

その中の一部に自分たちが居ること。

受付から開放感溢れるロビーを見渡して、駆け出したい、抜け出したい、そんな気持ちに瞬間、なった。

 

 

 

結局、そのハイテクな機械はそんなに役には立たなかった。動き回る気にはならずに、みんな自然と待合室に大人しく座って待っていたからだ。

緊張していた。

かっちはどうだったんだろう。

 

呼び出し音が鳴って、席を立って、部屋に入った。

紹介状と資料を見た先生は、『うちにきても、今通われている病院と同じ治療をすると思います』と云った。

見立てが全く一緒だったのだ。

今ならなんとなくわかる。

王道コース って云うとものすごく語弊があるかもだけど、肺原発からの脳への遠隔転移。

他の部位への転移はなし。

血液に乗って転移しているから、次どこに転移してもおかしくない。

手術をしても体力を削るだけ。

肺の手術は何度も出来ない。

末期がん、ステージ4ってこういうことなんだ。

こういうことなのか。

闘病中、希望は何度も潰されて、でも何度も違う形で蘇った。

何度も何度も違う希望を見ていた。

まだ、覚悟もままならなくて。

失うことをリアルに考えられなくて。

そんな中で、(選択肢を広げられる)という可能性が潰された。

抗がん剤も、自分もこれと同じ組み合わせにするし、今通われてる病院の呼吸器の先生たちは信頼が置けると思います。

それでもこちらの方がよければ、うちはうちで大丈夫ですよ』

と話す先生。

そんな感じで、セカンドオピニオンは終わった。

 

 

結果、かっちは頭の手術をした元の病院での治療を選んだ。

見立ても同じだし、大きい病院だし、セカンドオピニオンの先生も薦めていたし、なにより家からも職場からも近かったのだ。

 

2015年の5月から、抗がん剤治療を始めることにした。


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