白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

片道切符と往復切符2

鶴を折った後は、お義母さんが作ってくれてた珈琲ゼリーを3人で食べた。

冷たくて、夏っぽくて、美味しかった。

 

 

 

お義父さんが私のエフェクターケースをじいっと見ていた。

そんな私に気付いて、お義父さんが『これはなんの荷物なの?』って聞いてきた。私は、『中身はこれなんです』と云って、ケースを開けた。

 

中にはマイクが1本。

エフェクターが2体。

アダプターが2つ。

 

お義母さんがマイクを取って、ぱぁって笑顔になって、『また音楽始めてくれたのね』と、云った。

 

 

 

 

 

 

 

前から少し疑問に思ってたことがあった。

今年に入ったくらいから、お義父さんお義母さんに会う度に(音楽はもうやらないの?)って聞かれていたこと。

(誘われたりしたら気にせずやりなね)

とか、

(こっちに気を遣わなくっていいんだからね)

とか、

(ぼっちちゃんがやりたいことをやりたいようにやってね)

とか、そらもーありがたい言葉ばっかりかけてもらってた。

にしても。

(音楽)というワードがやたらめったら出てくるのだ。

 

 

だから、聞いてみた。

すごいストレートに、『私が音楽をすることをなんでそんなに喜んでくれるの?』って。

 

 

 

大体こんなような話をお義母さんはしてくれたんだ。

 

『夜にね、あの子に用事がある時とか電話掛けて、

(ぼっちちゃんとも話したいから代わって)

って云うと、

(ぼっちはバンドのライブで今日は帰りが遅いんだよ~)

ってことが結構あったのね。

それで、私が

(アンタ、ぼっちちゃんばっかり忙しくて寂しいんじゃないのw?)

ってちょっと茶化して聞いたの。そしたら、

(俺はぼっちが好きなことをして楽しんでるのが一番好きだからいーの。音楽やってて、音楽で楽しい!って思って動いてるぼっち見てるのが楽しいの)

って云っててね、あの子は。

本当に。ぼっちちゃんがそう思ってくれてるのと同じで、ぼっちちゃんの全部が好きだったのね。』

 

 

 

 

 

そんなこと云われたことなかった。

聞いたこともなかった。

知らなかった。

私が楽しいのが嬉しい人だ って思ってはいたけど。

私の大事にしていた音楽を、かっちがそんな風に大切に思ってくれてたなんて、私は知らなかったし、気付けなかった。

嬉しい気持ちと、情けないような、泣き出したい気持ちと、ありがたい気持ちとで、泣きそうになって慌ててトイレに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽を再び始めた時からこの日まで、(やめる理由もないしな)って思ってた。

でも、少しの(やめない理由)が出来た。


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私だけのもの

友達と話していて気付いたことがある。

 

どうして外でonのスイッチを入れられるのか。

どうしてその反動で家でベソベソしてしまうのか。

誰に何を縋ったって、無意味だからだ。

そんで、この想いや気持ちや苦しい、悔しい気持ちは私だけのもので。

誰にもあげたくないのだ。

 

 

昨日はそんなことを思った引越し5日目の夜だった。


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ホームシック

引越しがなんとか済んで、ネットも今日開通させることが出来た。

まだ退去日じゃないからなんとも だけど。

 

そして分かり易く体調を崩してしまった。

やだなぁ。

今は前住んでた部屋よりも、街自体へのホームシックが強い。

誰も私を知らない街に今いるんだ っていう謎の孤独感がぱない。

きっともう少し時間が経ったら部屋や空間、もうどうすることも出来ないホームシックに襲われるんだろうなぁっていう予想。

 

このまだダンボールまみれのまだ知らない部屋にかっちが居たら。

どうしてたんだろうなぁ。


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片道切符と往復切符1

先月末、かっちの実家にかっちの遺骨を連れて行った。

結果から云うと、無事、ミッション完了。

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、すぐ家に帰ったら。

帰ってすぐ、がらんどうになってるかっちコーナーを見たらきっともれなく私はへこむ。

そう思ったから、かっちの実家終わりにスタジオの予定を入れた。

右手に遺骨、左手にエフェクターケース。

妙ちくりんな組み合わせだけど、まぁ許してよ って思いながら、かっちの大好きだった特急電車に乗り込んだ。

 

 

本当はレンタカー借りて行こうとしてたんだけど。

60代ロマンチスト代表みたいなうちのお父さんが、

『かっちはその特急電車が好きで、それに乗って東京に出てきたんだろう?

じゃあそれに乗せて帰らせてあげて欲しいな』

なんて云うもんだから。

 

その日は朝から雨が降っていた。

(雨かよクソ…)って思いながらの目覚め。

携帯を見たらお父さんからLINEが来ていた。

(あいにくの天気だけど、これはかっちの泪雨。

お前との別れじゃなくて、かっちが過ごして、お前と出会ったり色んな思い出のある東京との別れに相応しい天気。

気をつけて大事に連れて帰ってあげてな。)

なんて云うもんだから。

 

じゃあこんな雨も悪くないのかもしれない。

特急に乗るまでのこの周りの人の目線にも耐えられるかもしれない。

 

そんな導入から始まったこの日。

かっちの実家方面に着いたら、雨はもう上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

お義父さんお義母さんが車で迎えに来てくれた。

ご飯を外で食べてから、実家へ。

そこで私は、何十年ぶりかに折り紙の鶴を折った。

 

 

(骨壷に何を入れる?)

って聞かれたことが始まりだった。

私は手紙を書けたら。あと、かっちの誕生日にあげた眼鏡を入れようかと思っていた。

そしたらお義母さんが『入れたいなぁって思ってるものがあって…』と話し出した。

 

折り紙の鶴を、かっちの歳の数だけ入れたいんだ とお義母さん。

『どうかな?』って質問に、勿論入れましょう!と答えた。

そしたら部屋の奥から、小さい箱を取り出した。

蓋をあけてびっくり。

『実はもう折っちゃったりしてたのw』

お茶目なお義母さん。

一応私にお伺い立ててくれたのか そう思って、そんなんいいのに って気持ちと、かわいいな って想いが交差した。

 

数を数えてみた。ら、ひとつ足りない。

そのカラクリはこうだ。

ぼっち『いっこ足りないっすよ!』

お義母さん『うん!足りないの』

ぼっち『え なんでw』

お義母さん『最後のいっこはぼっちちゃんに折ってもらいたくって!』

 

 

なんか、この日私はよくわからないテンションだったと思う。

 

無事に連れて帰ってこられてよかったなぁ。

でもやっぱ寂しいなぁ。

でもでも、実家でゆっくりのんびり過ごしてもらうんだ。

でもでもでも。

うーん 寂しいなぁ。

 

泣き出しそうになりながら、お義母さんにレクチャーしてもらいながら、私は鶴を折った。

かっちのこと。

かっちの大切に思ってた家族のこと。

かっちの大切に思ってた私の家族のこと。

それから、私のこと。

思いながら、折った。

 

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3:26ひとりごと

わーって思った。

これあれや、テンプレみたいなやつだって思った。

妹旦那ちゃんに(こういうことも云われるからね)って予告されてたやつ。

まじでほんとに云われるんだね。

もう一年だねとか。

あっという間じゃなかった?とか。

きみがあっという間に感じたなら、きみの中ではあっという間なんだろうね。

としか云えないし、思えない。

そろそろ元気になったとか。

なんだ、思ったより元気そうとか。

どんな私を想像してんだろ。

毎日外でも鬱々したオーラを身にまとった私?

人と話してても泣いてばかりいる私?

延々とかっちへの想いを語りまくる私?

外じゃそんな私見せるわけないじゃあないか。

目に見えるものが総てじゃないってどうしてわかんないかなぁ。

どうして伝わんないかなぁ。

伝えようとしてないからじゃん。

私が。

じゃあ仕方ないね。

でも、まだ私の頭も身体もちっとも慣れない。

この手のやりとりは。

多分それ云っちゃう人があんまり居ないし、居なかったから。

ありがたいんだよなそれだけでも。

だからたまにこうなっちゃうとすこぶる弱い。

打たれ弱いんだな。

前は気にして云えなかった、

(onのスイッチ入れてここに居るんすよww)

(元気なわけないじゃんwww)

が云えるようになっただけまだましなのかもしれないな。

もっと丁寧にしたいのに。

いかんせん全然余裕がないなぁ。

ここにはかっちのことをメインで書いてるけど、

確かに私の日常は他でも動いてる。

ここに書いてることが全部じゃないから、

私は素で笑える瞬間だってある。

楽しいと心から思える時間もある。

居てくれてよかったなって感じさせてくれる人たちがいる。

でもそれはそれで、これはこれ。

点と点があんまり結びついてくれない。

笑えたから、元気になりました とか、

好きな人たちと飲んだから、もう大丈夫です とか、

そんなんじゃない。

そんなんじゃないのになんでどうしてうまいこと伝わんないのかなぁ。

それはそれ、これはこれだよ。

ずっと胸の中でそう思ってる。

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(大好き)と(おやすみ)

思い出してしまう。

しまう って云い方するとすごくいやな方向の言葉になってしまう気がするけど、そうではない。

いやなことなんかじゃない。

寧ろ、忘れられない、忘れたくないことだ。

 

 

 

最近。テレビのニュースやネットニュースで耳にしない、目にしない日はない。

小林麻央さんの訃報に関する話題。

自分もちらりとブログを読んだことはあった。

(病気が自分の人生を代表する出来事ではない)

ほんとそう。

ほんとそうなんだよ!!って思いながら読んでた。

 

【最後の言葉】ってワードを特に目にする。

どうしたって、自分の時のことを思い出すし、思い返してしまう。

また しまう 使っちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、病室での会話だ。

普段ヘラヘラしている私たちが真面目に想いを話し合った日は、かっちが生きていた最後の夜だった。

この日のことは後々ちゃんと書くね。

今はこの最後の言葉だけ。

 

 

 

 

病院に泊まることに決めてた私。

真面目な話を20分くらいした後の会話だ。

 

ぼっち『話せてよかった』

かっち『うん』

ぼっち『大丈夫大丈夫』

 

かっち『なるべく今日は早めに寝よう』

ぼっち『そうだね、早めに寝よう』

かっち『一緒に寝るの楽しみだなぁ』

ぼっち『うん』

 

 

この後の言葉が、私が聞き取れた(言葉)みたいなものの最後だった。

かっちの眠るベッドの左側に設置した簡易ベッドへ横になる私。

かっちが手を繋いできた。

私の右手はかっちの左手と繋がって、私は体を右に倒してこう云った。

ぼっち『私かっちが大好きだよ。おやすみね』

返ってきた言葉が最後の言葉になっちゃった。

 

『俺もぼっちが大好き。おやすみね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上を見ても下を見てもキリのないことばかりの世の中だから。

下を見れば(最後にこんなにちゃんとした言葉をもらえてありがたいな)

上を見れば(なんで病気になっちゃったんだろう なんで先に死んじゃったんだろう)

だからもう完全に私のものさしでの話になる。

誰かをいやな気持ちにさせてしまったらごめんなさい。

 

 

 

私は、最後にこんな言葉を貰うことができて幸せだったと思う。

思うし、これからもきっと思い続けるんだろうなって思う。

 

でも、この直後に起こったこともきっと忘れないし、忘れられない。

記憶の蓋は案外簡単に開く。

自分の意志と紐付いていない瞬間なんてざらにあるから、いきなりフラッシュバックすることが何度もあった。

よい光景も、いやな光景もどちらもだ。

いやな光景 とか云っちゃだめな気もする。

かっちが頑張ってくれていた瞬間瞬間の光景なのに。

でも、好きな人が苦しがっている姿なんて、いやな光景でなければなんなんだろうか。

そんな姿を目の当たりにしてるのに、なんにも出来ない自分がそこに居るだけの、そんな光景。

いやな光景でなければなんなんだろうか。

 

 

6時間。

約6時間、目の前で好きな人が苦しむ姿を見た。

生きようと頑張ってた姿を見た。

 

私はなんにも出来なかった。

ほんと、なんにも出来なかったんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しんどくなってきたから今日はこの辺でおしまい。

お酒結構入ってたのに全然眠れなかった。

トータル2時間の短い睡眠だった。

寝不足で頭回ってなくって、おかしいなぁ。


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夏から冬へ/冬から夏へ

【私のいるものいらないもの戦争】まだまだ絶賛開催中だ。

 

 

ものを捨てることに色んな意味で慣れてきていた。

(今の私が持っててもしょうがない)ってすんなり思えたら、捨てる。

(これからの私がまだ必要なものかも)ってちらりと思ったら、考える。

ダンボールorゴミ袋

ジャッジも最初に比べたら早くなってた と思う。

 

 

そんな中で、こういうのが一番困る。

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ちょっとひくかもしんない。

自分がくっそ恥ずかしい奴だって自覚あるから書くね。

ひいたらメンゴ。

 

 

 

私はいい大人の癖に、イベントが大好きで。

家でのクリスマスパーティに全力を注いでしまう奴で。

毎年毎年、平日のクリスマスの時は、こんな妙ちくりん極まりない被り物を被り、リースを首から下げ、クラッカーを構え、かっちの帰宅をそわそわしながら待ってた。

いい大人なのにね。

正直なにがめでたいんだかわかんないけど、クリスマスのキラキラした空気感に分かりやすく踊らされていた1人だ。

 

 

分かり易くお肉やらピザやらを食べて、

分かり易くシャンパンなんか飲んで、

分かり易くサンタとトナカイの乗ったケーキを食べて、

お互いがお互いのサンタ役に成って、

プレゼント交換して、

写真撮って、

動画撮って、

明石屋サンタ見て寝る。

 

どーしようもなく浮かれ切った冬の楽しい一日が、ダンボール開けた瞬間に蘇って、なんだか急に吐きそうになった。

吐きそうになって、吐いてしまった。

 

 

 

なんだよ全然慣れないじゃん。

慣れてないじゃん。

あんな楽しくてバカ平和なクリスマス、もうないんだよな。

ほんとに私の下してきたジャッジは正しかったのか。

ほんとはいるものだったのに、判断を間違えて捨ててしまったものないかな。

結構ささやかに楽しくやってただけなのに、何がいけなかったんだろう。

ふたりの世界で、幸せに生きてただけだったのに、何がいけなかったんだろう。

 

とかなんとか、もう今更考えたってしょうがないことばっかり降ってきた。

 

 

 

 

 

 

私は中身をゴミ袋に押し込んで、燃えるゴミの日に捨てた。

これは(今の私が持っててもしょうがないもの)だ。

そう思って、写真を撮ってから捨てた。

しょうがないもの。

分かるのに、分かってるのにすっげーしんどい。

めちゃくちゃ今しんどい。何度も云いたい。しんどい。つらい。

 

やだよ。常になんかもうやめたいよ。

引越しも、考えることも、なんとなく生きてることも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人からの言葉を思い出す。

(かっちはぼっちちゃんが泣いて苦しんで過ごすことを望むような人だった?)

そんなわけじないじゃん。

でもしょうがないじゃん。

涙は今も出るし、苦しい。

だからしょうがないじゃん。

よかれと思って私宛に投げてくれた言葉。

もらったその時は(そんなわけない、だからちゃんとしなきゃ)とか思えても、

今はその言葉自体が重たくて、重たくて、つらい。

かっちが私がベソベソしてるのを望むような人じゃなかったら、私はベソベソしちゃいけないのかな。

とか、自分勝手に歪曲させてしまう。

そんなのもいやで、でも動かなきゃだめなのも知ってて、頭の中で(でも)と(だって)と(やだ)がぐるんぐるんしてる。

 

思考停止はこわいこと。

でも今は思考停止したい。

なのに考えること、思うことが止まらないでいる。

 

 

 

 

 

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夏の歌だけど、夏のことを夏じゃない季節に思い出してる歌に聞こえる。

好きな歌。

 


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