ついさっきまで、とてもいやな夢を見ていた。
夢だ と気付いて起きた瞬間、吐き気がぶわぁっとお腹の中を駆け抜けた。
なんだか呼吸も荒い。
落ち着くまで、ここに書く。
まだ手が若干震えている。
でも、なんかもうベッドの中に居るのが耐えられなかったのだ。
全部書き終わった後からの追記:
胸糞悪い話というか、夢の話と自分の昔話です。
血の繋がりがある人のことを嫌いだって云ってる話なので、苦手な人は読まないでね。
私は、父方の祖母が嫌いだった。
ものっそストレートな云い方だけど、苦手だったし嫌いだった。
典型的な嫁イビリマシーンだった祖母。
お母さんが握ったおにぎりを、あろうことか作り手のお母さんに向かって何個もブン投げているのを台所で見た小学校低学年の頃から、大嫌いだった。
おにぎりが宙を舞っている光景を目の当たりことは、あの時以来勿論ない。
そしてきっとこれからもないんだろう と思う。
心も体も成長していくにつれて、欠片も尊敬出来ない大人が身近に居る という事実が、良くも悪くも影響し出した。
自分の中のほんの少しの潔癖な部分で拒絶したり。
反面教師として捉えたり。
次第に祖母はご近所や友達からも疎まれ、嫌われ、家の中に引きこもって孤立するようになった。
攻撃の対象はいつもお母さんだ。
でもお母さんだって云われっぱなしではない。
正論をガツンと叩きつけ、それでも毎日ご飯を作ったり世話をしていたお母さんは本当にすごいなぁって思う。
勿論お父さんも何度も怒ったし、諭した。
けどどんなにフォローに入ったって、効き目が全くない。
お父さんも辛かったと思う。
あんなんでも実の親だ。
咎める言葉を云った後は、いつもしんどそうな表情だった。
そんなことを実の子供に云わせるなんて親として最低だ。
ますます私の中での拒絶が増してった。
昔はお母さんに対して、(そんなことしてやらなくてもいいのに)って思ってたし、実際何度も云った。
でも、今ならちょっとわかる。
誰かがやらなきゃいけなかったんだな。
でも、自分の心が折れる前に、ちゃんと自分自身を保って、抜くとこ抜いていた。
ほんとにすごい。
最終的に祖母は、アルツハイマーになった。
それも攻撃型で、被害妄想が酷いタイプの。
いい思いでが何かあったら と思った。
が、記憶を振り絞ってみても、見事にひとつも見つけられなかったのだ。
いい思いでがあったら、(今はボケちゃってるけど昔は優しいおばあちゃんだったんだよ~)って云えるのに。
そんな思いですら本人が残してないならもう何も思うこともないな と思った。
酷い孫かもしれない。でもしょうがない。
これが人徳ってやつか とその時思った。
何度も何度も家に警察が来た。
理由はひとつ。祖母が呼ぶからである。
呼んで、『ここに置いておいた高級の羽毛布団が盗まれた!きっと嫁と息子が盗んだに違いない!』とシャウトするのだ。
ある時はミンクのコート。
またある時は現金、通帳。
うちには高級な羽毛布団やミンクのコートなど存在しない。
現金や通帳は持ってたんだろうけど、祖母以外その場所を知らない。
家にはほぼお金を入れてくれなかった。
ご近所さんにも警察の人にも同情と心配された。
幸い、周りの人たちはみんなお母さんの味方になってくれるいい人たちばかりだったので、なんとかなってた節はあった。
そんで、検査入院かなんかの時に病院で転んで、そのままあっけなく逝ったらしい。
らしい というのも、入院中だってのは聞いてたけど、お見舞いなんて1度も行かなかったし、ほんとに急だったからなんか(あっ そうなの)って感じだったのだ。
90歳か91歳だったかな。
親戚からも引かれていた人だったので、お葬式なんかもそれとなーく、なんとなーくに終わった。
それが3年前のことだ。
かっちが実家に最初に来てくれた時。
開口一番、『貴方、年収はいくらなの?』って悪びれなく聞いた祖母。
お金にがめつく、言いなりになった弱いおじいちゃんの通帳を取り上げて自分勝手に散財しまくってた祖母。
仲が良かったはずの友人がどんどん離れていって、その人たちの悪口をブツブツ云ってた祖母。
『老人ホームなんて頭がバカになった奴がいく所だ!』と、ホームに通う近所の人を罵ってた祖母。
誰からも看取られず、ひとりで死んでいった祖母。
そんな祖母が夢に出てきた。
何にも云わず、じっとこっちを見ていた。
ドラえもんのタイムマシン空間って云って伝わるかな…?
あんな感じのふわふわした背景で、正座して浮いてた。
その祖母がふっと消え、次に目の前に現れたのが、母方の祖父。
祖母より少し近くなった位置に、おじいちゃんが居た。
無口だったけど、土いじりと花が好きな、優しいおじいちゃんだった。
たまにピンボールで遊んでくれるのが楽しくて、嬉しかった。
おじいちゃんが亡くなったのは、自分が中学生の時。
入院してからは毎週、お父さんとお母さんと妹と一緒にお見舞いに行った。
好きだったヤクルトを3本持って、病室のドアを叩いた記憶。
死んじゃった時は悲しかった。
でもそれ以上に私の脳内から消えない光景がある。
あの、何が起こっても明るいお母さんが泣き崩れていたシーン。
4日くらい、部屋にこもって泣き尽くしていたシーン。
あれは消えない。
そんなお母さんを見て、悲しみが更に濃くなった。
そんなおじいちゃんが、目の前に現れた。
やっぱり何にも云わず、ただこちらをじいっと見つめているだけ。
夢の中なのにパニックである。
なんであの祖母が居た!って思ったらおじいちゃん?
てかこの空間なに?
次の瞬間、おじいちゃんがふっと消えて、次に現れたのはかっちだった。
でも、かっちは前の2人と違ってなんか透けてる?というか薄い?というか。
感覚なのかもしれないけど、透けてて、2人よりももっとこちらに近い位置に居た。
でもやはり何も発さない。
私は、(おじいちゃんだったのにかっちになった!かっちなんか喋ってよ!)状態。
そこで目を覚ました。
今ここまで書いて、ようやっと落ち着いてきたような気がする。
飲み物沢山飲んだし。
書くのは所々しんどいしけど、やっぱり落ち着く。
起き抜けの目覚めの悪さと吐き気は、祖母に対する拒絶感と、そんな夢におじいちゃんとかっちを巻き込んでしまったような錯覚に襲われたんだと思う。
我ながらどーにかなっちゃうんじゃないかって位、呼吸がへたくそだった。
ごめんねって気持ちで、なんでか泣いてた。
んでたちまちベッドに居られなくなった。
今の気持ちは、なんだかとても複雑の極みだ。
夢でも、久しぶりにおじいちゃんとかっちに会えた。
でも入り口が悪夢だったし、目覚め最悪だったし。
結果オーライにしとく?
って云えるのは、ここに書き殴って落ち着いたせいだろう。
ありがとうブログ氏よ。
そしてこれをここまで読んでくれている人も。ありがとう。
今ブログの上に追記書いてきた。
中にはきっと(肉親のことを悪く云うなんて)って人も居るよね。
平気かな~って思って読んで、やっぱりいやな気持ちにさせちゃった人が居たら。
いやな気持ちにさせてごめん。
でも、否定はしないから、否定しないで欲しい。
押し付けないから、押し付けないで欲しい。
それが出来たら、きっと一番いいはずだ。