日曜日はいっぱい歩いた。
いっぱい話して、ご飯も食べた。
日曜日の神社とか商店街は人の多幸感に満ち溢れている。
人から見れば私だってそんな多幸感の一部だ。
人生って、生きるって、よくわかんないことの連続だ。
でも生きてる。
かっちのいた世界で生きてる。
かっちのいなくなった後の世界は、かっちのいた世界なわけで。
繋がってるはずなのに、大きい、埋まらない切れ目が確実にそこにはある。
あるから違和感を今もこうして抱えているのか。
ほんとはそんなもんなくって、ないけどないなりの、なにかしらの気持ち悪さは今も健在だ。
点在している小さい赤がかわいいなぁ。
友達とバイバイして、自分の家に帰って少し寝てしまった。
起きて、まず(あ、熱出たなこれ)と。
体温計は38度という数字を映し出していた。
気温上がったり下がったり激しかったもんね。
先週は音楽関係でバタバタしてたもんね。
週末にかけてちょっと歩き過ぎちゃったのかもね。
たくさんの落とし所が頭の中で渦巻いた。
風邪をひいても、傍であわあわするかっちはいない。
冷えピタ貼ってくれない。
コンビニで私の好物を買い込んできてくれない。
背中を、頭を撫でてくれない。
もういっそ全部忘れてしまったほうが楽なんじゃないかな。
私はこうなると考えが酷く幼い。
そして極端だ。
ちょうどいいとこないのかよ。
って自分に対してよく思う。
自分の悲しいとか、自分のつらい、しんどい、寂しい に押し潰されてる。
こんなんじゃダメなのに。
ほんとここ最近ダメだなぁ。
って思ったけど、ここ最近でもないね。
ずっとこうだ。
ずっとこの喪失感がまとわりついて、私を重くする。
色んな事柄を頑張ったほうがかっちは喜ぶだろうし、
日々をもっと楽しんだほうがかっちは嬉しいんだろう。
私が悲しむこと、傷付くことが一番やな人。
それは私自身でも、親や姉妹、友達でもなく、多分かっちだ。
私の楽しさを一番に願う人。それもきっとかっちだ。
それを私は(そうだ)と云えるのに。
そんな風に云える程丁寧に支えて、守って、想ってもらっていたのに。
ごめんねこんなんで。
ほんとごめん。