なぞる記10
脳の手術を終えてからは、(食べることへの感情を取り戻す)ことからのスタートだったと思う。
脳にあった腫瘍のせいで気持ち悪く何を食べても吐いてしまっていた。
テーブルに置いたご飯を見ながら(どうしよう、食べなきゃって思ってはいるんだけど…)っていうような会話を何時間も続けたあの期間。
食べることがこわい ってなってしまってる気持ちを、どうやって戻そうか色々考えた。
突破口は(赤いきつね)だった。
食事制限はかかっていなかった。
寧ろ、(食べたいと思う、食べられるものを食べてください)と云われていたので、退院の日、帰りのタクシーの中で『かっち、今日なに食べたい?なんならいけそう?』って聞いてみた。
すると、『なんでだろ、なんでだかわかんないけど、赤いきつねだったら食べられそうな気がするんだよね』とかっち。
おい!!!私の!!!手料理じゃないのかよ!!!!!って全力で笑って突っ込んだwww
かっちは『いや違うんだよwwぼっちのご飯も食べたいけどまた吐いちゃったらごめんだし、なんかあのお揚げが急に食べたくなって…www』と必死にフォローしていた。
ぼっち『いいでしょう!
私がお湯を注ぐことによって通常の3倍美味しくなりますからね!』
かっち『え シャアなの…?ぼっちシャアだったの?』
ぼっち『いやほら赤いきつね だけにね…』
そんなアホなやりとりをして、セブンイレブンで赤いきつねを2人分買って帰宅した。
かっちのお揚げさんへの情熱は本物だった。
ほぼ食べられたのである。
最初は(家で食べるの大丈夫かな、ちょっとトラウマになっちゃってないかな)と私は不安に思っていたのに、あっさりほぼ完食。
嬉しそうだった。
ご飯食べることが好きなかっち。
私も久しぶりにかっちがご飯に前のめりになっている姿を見て、嬉しかった。
そんなこんなで、トラウマも恐怖症的なものもなく、あっさり食への感情はかっちに戻った。
抗がん剤治療がこれからやってくる。
そんな状態だった4月の半ば。
お医者さんや病院に慣れていなかった我々。
かっちはセカンドオピニオンをすることに『でもなんか今のお医者さんに悪くない…?』と気にしていた。
うん、わかる、すげーわかる。ちょっと前の私もそう思っていたからだ。
絶対的調べマンになっていた私は、
・セカンドオピニオンはしたほうがいい
・可能性や選択肢が広がることもある
・今はお医者さんが薦めることもある
・なにより いのちだいじに なんだよ
と、不安がるかっちを説得。
私は少しの期待を持ってセカンドオピニオンに挑んだ。
毎日病気について調べて、見る記事やブログで一喜一憂していたけれど、まだまだ全然詳しくなかった。
ググったくらいじゃわからない、もっと色んな可能性があるんじゃないかって思ってた。
主治医の先生に『抗がん剤治療の前にセカンドオピニオンを受けたいんですけど』と切り出すと、『そうだね、いってらっしゃいな』と、資料や紹介状を手早く用意してくれた。
かっちに、『ね、もうセカンドオピニオンは普通のことなんだよ(ドヤァ)』とドヤ顔を放ったら『うぜえwwwその顔うぜえww』と笑われた。
大丈夫。笑える。笑えてる。
今思い返すとなんでもないような、こんなバカみたいなやりとりがほんとーーーにほんとに愛おしくてしようがない。
すぐに出てくる。かっちの顔も、仕草も、声も。
有名なデカい病院に行ってきた。
癌の病院。
メンバーはかっち、お義父さん、お義母さん、ぼっちの4人。
その病院はなんかもうすごかった。
呼び出しの機械?みたいなの渡されて、順番がきたらその機械が鳴るシステムになってるから、病院内どこに居ても大丈夫!みたいな。
とにかくハイテクさがすごかった。
あと、ここに居る人たちみんな癌を患っている人と、その家族なんだ ってこと。
その中の一部に自分たちが居ること。
受付から開放感溢れるロビーを見渡して、駆け出したい、抜け出したい、そんな気持ちに瞬間、なった。
結局、そのハイテクな機械はそんなに役には立たなかった。動き回る気にはならずに、みんな自然と待合室に大人しく座って待っていたからだ。
緊張していた。
かっちはどうだったんだろう。
呼び出し音が鳴って、席を立って、部屋に入った。
紹介状と資料を見た先生は、『うちにきても、今通われている病院と同じ治療をすると思います』と云った。
見立てが全く一緒だったのだ。
今ならなんとなくわかる。
王道コース って云うとものすごく語弊があるかもだけど、肺原発からの脳への遠隔転移。
他の部位への転移はなし。
血液に乗って転移しているから、次どこに転移してもおかしくない。
手術をしても体力を削るだけ。
肺の手術は何度も出来ない。
末期がん、ステージ4ってこういうことなんだ。
こういうことなのか。
闘病中、希望は何度も潰されて、でも何度も違う形で蘇った。
何度も何度も違う希望を見ていた。
まだ、覚悟もままならなくて。
失うことをリアルに考えられなくて。
そんな中で、(選択肢を広げられる)という可能性が潰された。
『抗がん剤も、自分もこれと同じ組み合わせにするし、今通われてる病院の呼吸器の先生たちは信頼が置けると思います。
それでもこちらの方がよければ、うちはうちで大丈夫ですよ』
と話す先生。
そんな感じで、セカンドオピニオンは終わった。
結果、かっちは頭の手術をした元の病院での治療を選んだ。
見立ても同じだし、大きい病院だし、セカンドオピニオンの先生も薦めていたし、なにより家からも職場からも近かったのだ。
2015年の5月から、抗がん剤治療を始めることにした。