白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

赤いきつねとゆりかもめ

なぞる記10

 

 

脳の手術を終えてからは、(食べることへの感情を取り戻す)ことからのスタートだったと思う。

脳にあった腫瘍のせいで気持ち悪く何を食べても吐いてしまっていた。

テーブルに置いたご飯を見ながら(どうしよう、食べなきゃって思ってはいるんだけど…)っていうような会話を何時間も続けたあの期間。

食べることがこわい ってなってしまってる気持ちを、どうやって戻そうか色々考えた。

突破口は(赤いきつね)だった。

 

食事制限はかかっていなかった。

寧ろ、(食べたいと思う、食べられるものを食べてください)と云われていたので、退院の日、帰りのタクシーの中で『かっち、今日なに食べたい?なんならいけそう?』って聞いてみた。

すると、『なんでだろ、なんでだかわかんないけど、赤いきつねだったら食べられそうな気がするんだよね』とかっち。

おい!!!私の!!!手料理じゃないのかよ!!!!!って全力で笑って突っ込んだwww

かっちは『いや違うんだよwwぼっちのご飯も食べたいけどまた吐いちゃったらごめんだし、なんかあのお揚げが急に食べたくなって…www』と必死にフォローしていた。

ぼっち『いいでしょう!

私がお湯を注ぐことによって通常の3倍美味しくなりますからね!』

かっち『え シャアなの…?ぼっちシャアだったの?』

ぼっち『いやほら赤いきつね だけにね…』

そんなアホなやりとりをして、セブンイレブン赤いきつねを2人分買って帰宅した。

 

かっちのお揚げさんへの情熱は本物だった。

ほぼ食べられたのである。

最初は(家で食べるの大丈夫かな、ちょっとトラウマになっちゃってないかな)と私は不安に思っていたのに、あっさりほぼ完食。

嬉しそうだった。

ご飯食べることが好きなかっち。

私も久しぶりにかっちがご飯に前のめりになっている姿を見て、嬉しかった。

 

そんなこんなで、トラウマも恐怖症的なものもなく、あっさり食への感情はかっちに戻った。

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療がこれからやってくる。

そんな状態だった4月の半ば。

お医者さんや病院に慣れていなかった我々。

かっちはセカンドオピニオンをすることに『でもなんか今のお医者さんに悪くない…?』と気にしていた。

うん、わかる、すげーわかる。ちょっと前の私もそう思っていたからだ。

 

絶対的調べマンになっていた私は、

セカンドオピニオンはしたほうがいい

・可能性や選択肢が広がることもある

・今はお医者さんが薦めることもある

・なにより いのちだいじに なんだよ

と、不安がるかっちを説得。

私は少しの期待を持ってセカンドオピニオンに挑んだ。

毎日病気について調べて、見る記事やブログで一喜一憂していたけれど、まだまだ全然詳しくなかった。

ググったくらいじゃわからない、もっと色んな可能性があるんじゃないかって思ってた。

 

 

主治医の先生に『抗がん剤治療の前にセカンドオピニオンを受けたいんですけど』と切り出すと、『そうだね、いってらっしゃいな』と、資料や紹介状を手早く用意してくれた。

かっちに、『ね、もうセカンドオピニオンは普通のことなんだよ(ドヤァ)』とドヤ顔を放ったら『うぜえwwwその顔うぜえww』と笑われた。

大丈夫。笑える。笑えてる。

今思い返すとなんでもないような、こんなバカみたいなやりとりがほんとーーーにほんとに愛おしくてしようがない。

すぐに出てくる。かっちの顔も、仕草も、声も。

 

 

 

 

有名なデカい病院に行ってきた。

癌の病院。

メンバーはかっち、お義父さん、お義母さん、ぼっちの4人。

その病院はなんかもうすごかった。

呼び出しの機械?みたいなの渡されて、順番がきたらその機械が鳴るシステムになってるから、病院内どこに居ても大丈夫!みたいな。

とにかくハイテクさがすごかった。

あと、ここに居る人たちみんな癌を患っている人と、その家族なんだ ってこと。

その中の一部に自分たちが居ること。

受付から開放感溢れるロビーを見渡して、駆け出したい、抜け出したい、そんな気持ちに瞬間、なった。

 

 

 

結局、そのハイテクな機械はそんなに役には立たなかった。動き回る気にはならずに、みんな自然と待合室に大人しく座って待っていたからだ。

緊張していた。

かっちはどうだったんだろう。

 

呼び出し音が鳴って、席を立って、部屋に入った。

紹介状と資料を見た先生は、『うちにきても、今通われている病院と同じ治療をすると思います』と云った。

見立てが全く一緒だったのだ。

今ならなんとなくわかる。

王道コース って云うとものすごく語弊があるかもだけど、肺原発からの脳への遠隔転移。

他の部位への転移はなし。

血液に乗って転移しているから、次どこに転移してもおかしくない。

手術をしても体力を削るだけ。

肺の手術は何度も出来ない。

末期がん、ステージ4ってこういうことなんだ。

こういうことなのか。

闘病中、希望は何度も潰されて、でも何度も違う形で蘇った。

何度も何度も違う希望を見ていた。

まだ、覚悟もままならなくて。

失うことをリアルに考えられなくて。

そんな中で、(選択肢を広げられる)という可能性が潰された。

抗がん剤も、自分もこれと同じ組み合わせにするし、今通われてる病院の呼吸器の先生たちは信頼が置けると思います。

それでもこちらの方がよければ、うちはうちで大丈夫ですよ』

と話す先生。

そんな感じで、セカンドオピニオンは終わった。

 

 

結果、かっちは頭の手術をした元の病院での治療を選んだ。

見立ても同じだし、大きい病院だし、セカンドオピニオンの先生も薦めていたし、なにより家からも職場からも近かったのだ。

 

2015年の5月から、抗がん剤治療を始めることにした。


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花の名前は知らないけど

この前、友達と遊びに行くのに待ち合わせをしていた。

道で待っていたら友達が小さな花束を片手にやってきた。

んで、それをくれた。

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特に祝ってもらえる心当たりも出来事も持ち合わせていない。

なんで?なんで花くれるの?と聞いたら、『花屋さんの前通って可愛かったからあげる』とのこと。

なんとも。間の抜けた平和感マックスで、笑った。

 

 

 

 

 

今は1週間半くらいのペースで花屋さんで花を買っている現状。

前にも書いたけど、(花を贈って単純に喜びそうな奴、もれなくいい奴説)を唱えている自分としては、単純に嬉しかった。

(花を贈って単純に喜びそうな奴、もれなくいい奴 説) - 白魔道士になりたい

 

『色とかぼっちちゃんぽいなぁって思って選びましたよ』って云われて、あ、そうなんだ。私はこの人から見たらこんな感じなんだ と思ってなんか面白くなった。

人からの自分のイメージってわからないもんだなぁ。

みんなそうか。

 

 

 

 

 

私が(かっちっぽい花)をイメージすると真っ先に出てくるのが向日葵と黄色のガーベラ。

どっちも黄色で、それがかっちの好きな色だからってのも勿論ある。

思い出すとまた悲しくなってくるけど、茹だるように暑い日、向日葵を買った記憶がぼんやりと残っている。

今年ももう早めの向日葵は花屋さんに並んでいて、そのことにこの前えらくびっくりした。

5月から置いてるんだ 知らなかったな って。

知らなくて当然か。去年の今時期は花屋さんに入ってないもんな。

そんな1人のやりとりが脳内で成される。

だから向日葵。

 

ガーベラはただ単純に私が好きで。

自分勝手なイメージなんだけど、ガーベラってちょっとバカっぽいなぁって思ってて。

平和 というか、明るく(うっす!咲いてまっせ!)って台詞付けたらなんかとても似合いそうwwwとか勝手に、ほんと勝手に思ってて。(全ガーベラ+ガーベラ好きの皆さま、すみません)

それがすごくかっちっぽいなぁって。

字面にするとなんか酷い理由だな。

でもかっちバカだったしな。

バカみたいに明るくて、いつも笑ってて、真面目で、エンターテイナー。

私の中では世界でいちばん素敵な人間。

世界でいちばん好きな人間。

だからかっちに贈ってる花のガーベラ率は恐ろしく高い。

赤とかも好きなんだけどね。

やっぱかっちは黄色だなぁって思う。

 

私の色はかっちから見たら何色だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰って飾ってみた。

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かっちコーナーにある花瓶にしか花を飾ったことがなかったから、花瓶の代わりにかっちと行った京都旅行で買った喫茶店のコップに。

小ぶりで可愛いなぁ。

最近贈ってばっかりの花を久しぶりに贈ってもらう側になれて嬉しかったな。ありがとうね。

ってな日でした。


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(今のぼっちだから)2

前回に続いて自分語りマックス。

いつものことだなぁとも思うけんども。

まぁまぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は人に対して直感で動く節がある。

男女関係なく初対面で、(なんとなくだけど、この人とは長い深い付き合いになるんだろうなぁ。仲良くなりたいなぁ。)って感じる人が、今まで一年に一回とか、二年に一回とかのペースでやってきてた。

んで、その直感は限りなく当たる。

そして今年はそんな出会いをもう3回もしている、謎の当たり年なのだ。

 

その内の2人と、別々に最近話をした。

普段は心情を吐露するみたいなことはほぼないんだけど、あの限界値を振り切ったテンションで。

泣きついた って云い方はどうだろうと思うけど、これ以上しっくりくる言葉が今んとこ見当たらないので、泣きついた ことにする。

 

 

 

最初に話をした友人は、もっと周りに甘えて、わがままになって、頼って、グズグズを見せて と云った。

手を差し伸べたい、なんとかは絶対出来ないけど、少しでも力になりたい。

共通の友達もみんなぼっちちゃんのことを思って考えてるけど、

ぼっちちゃんは普通に立って、歩いてる そんなポーズをとってる。

かっちさんを選んで、大切にしてきた、そんな今のぼっちちゃんだからみんな支えになりたいって思ってる。

こんな話をされたら悲しい気持ちや嫌な気持ちにさせちゃうかもな とか、勝手に相手の気持ちを図るな。

どう思うかはその人次第だし、決めつけから入るのは友達に対して失礼だ。

んで、合う合わないはあるけど、もっかい病院行くといいよ。

 

 

と、こんな激励をもらった。

私はまた忘れてしまうのがこわかったから、ベソベソしながらメモをとったり。

でも途中からもうメモはとれなかった。

泣いて、頷くだけになってしまった。

 

やっぱり病院に行くべきなのか。と思った。

内科でも、脳外科でも、耳鼻科でも心療内科を打診されていたから、もう一回行ってみようかな って気になった。

 

 

前とは違う病院を予約して、実はもう行ってきたのだ。

受けた印象は前とおんなじ。

聞かれたことに返すんだけど、総じて人のこと喋ってるみたいだった。

ただ、(通った方がいいのかもしれないな)って気持ちが芽生えたのは前の時と違うところ。

一応次回の予約を入れて帰った。

 

 

 

 

 

そんな(病院行ってさ~w)みたいな話をもう1人の友達に話した。

ら、最初めっちゃ怒られた。

知らない人に頼るなら自分を頼ってよ と云われた。

ペースは遅いし、時々来た道戻るけどお前ちゃんと進んでるじゃん、進めてるじゃん。いらないよそんなの。と。

消化しようとしてるのかわるから。

ちゃんとしよう って動いてるのわかるから。

そのまんまの、今のぼっちちゃんでいいじゃん。なにがいけないの?

そのエネルギーの変え方が分からないなら自分も一緒に探すから。

ぼっちちゃんが大丈夫になるように自分もやるから。

ちゃんとジャッジする側になれよ。お前は在りたい自分に成ろうと頑張れる奴じゃん。

 

 

と、今度はまた角度がガラッと違う場所から激励をもらった。

やっぱりメモをとってたんだけど、途中からありがたさとままならない悔しさみたいなので泣いてしまった。

この友人には結構云った。自分の思いや、(それは違う)ってことを。

云えた後に、ちょっとびっくりした。

あんまり考えずに話すことが出来たことにびっくりした。

人と話す時って、言葉を放つ前に一瞬考える。

みなさんそうだと思う。

これを云ったら相手はどう思うだろうか とか、傷付けないだろうか とか。

でも、この友人と話してる時はほぼそんなんなかった。

こわいことだけど、日常化したくないことだけど、あぁ、これも自分かぁって思ってなんだか謎の清清しさを感じた。

 

 

 

 

 

 

どちらの友達も、私のことを好いてくれて、想ってくれて、力になろうとしてくれていて。

云ってることは違うんだけど、全く同じことを云われた。

それが本質だよなぁって。やっぱりここが落ちるとこだよなぁって。

 

(かっちのことが大好きで、大切で、丁寧に大事にしてきたから今こんなに悲しくて、寂しくて、辛いんでしょ。)

(それをマイナスにしたらかっちもぼっちもかわいそうだよ。その想いは裏切ったら駄目なやつだ。)

 

伝える言葉は勿論違う。

違う人間だもん。

でも、こんなニュアンスのことをべっこの視点から云ってもらえて、うん、ほんとにそうだよなぁって思う。

と同時に、ありがとうって思う。

私にいいように考えてくれる友達が傍にいてくれる。

泣きついても大丈夫な場所がある。

全部、全部は勿論無理だけど、昔の自分からしたら考えられないくらい、友達という名の他人を頼って、支えてもらっている。

ありがとう。

いつもありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだろうなぁ。

その想いってやつは最初の最初っからあるものだったから、盲点だったのかな。

冷たい奴だって思うかな、思わないかな。

思わないか。かっちだもんなぁ。

自分の悲しいと寂しいに潰されて、動けなくなって、上手く逃げることが出来ない日もある。

バカみたいに好きだったんだ。

全部ではなかったけど、私のほとんどだった。

無理なもんは無理だ。

病院はもう一回行って考える。

貰った薬は調べたら少し強いみたいで、やっぱり少しこわいから飲まない。今は。

それから前にも書いた、(八方美人をやめる)を、ほんとにやめる。

みんなから好かれたい、嫌われたくないって思ってた自分ではもうないから。

ちゃんと自分に成りたい。

どんなんかはまだわからないけど。

 

 

 

この話をしてから、私の後頭部がぼうっとする謎現象が少し治まってきた。

1日フルでぼうっとしていたのに、少し隙間が出来たというかなんというか。

そんなことを体感して、(うわぁまじで心と体的なやつだったんだなぁ)って実感した。

 

やっかいで難儀な私の身体。だけんども、体調が悪いことをみっともないとか、情けなく思ってしまうことも、やめたいな と思った。

多分、すぐどうなるこうなる問題じゃないってことを、少しだけ受け入れられた気がする。から。

自分に優しくしなきゃうそだな。


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(今のぼっちだから)1

人と話していて初めてわかること、理解出来ることが今の私には多過ぎる。

私は私のままならなさや、不甲斐なさ、情けなさとか、そんなんばっかで。

それは全部全部、かっちが大好きで、大切で、大事にしてきたからこそのものだったのに。

寂しいとか会いたいとか悲しいとかつらいとかが先行していたのかな。

そんなこともぼんやりしてしまっていた。

 

書いて残しておきたい、覚えておきたいこと。

雑になっちゃうかもしれないけど、今の自分で書く。

最初からこのブログはそんなもんだった。

私が書いて、それを私が見る。

それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚式の写真を見つけてから、どんどん思考が狭くなっていく感覚がした。

友達と話していても、急に自分が遠く感じたり、(私はなんでここにいるんだろうなぁ)とかを瞬間的に感じたりしていた。

そんな小さいんだか大きいんだかわかんないような違和感を日常でぽつぽつ抱えながら、眩暈や耳鳴りは律儀にほぼ毎日やってくる。

あの夜は多分もう限界だった。

限界って云い方を今はあえてするね。

自分という存在があやふやで恐ろしくちぐはぐで、身体も全く云うことを聞いてくれない。

あの夜はあの夜で限界だった。

 

今まで撮った写真が全部入ってるクッキーのカンカンがある。

それをなんか(見たいなぁ)って思って、手に取った瞬間、床に落としてしまった。

ゴトン と重たい音がした。

そらな、全部入ってるからな、重いわな。

そんなこと思いながら、自分も床にペタリを座り込んでしまった。

なんかもうその瞬間立って居られなかったのはすごく覚えてる。

カンカンの蓋を開けて、過去のかっちと私を見る今の私。

かっちは私を撮るのが好きだった。

私はかっちの盗み撮りが好きだった。

そんな写真ばかりで、色んな場所に連れてってもらったなぁ、沢山の景色を見させてもらったなぁ。

そんなことを思って、かっちを想って、わんわん泣いた。

私の両の手には色んな表情のかっちが当たり前に居て、

その隣に私は居る。

ここに今居る私が本物じゃない気がして、気持ち悪くなった。

 

書いてる最中に云うことじゃないけど、本当におかしなこと云ってたらメンゴ。

自分自身、なにがおかしいことなのか、線引きがきちんと出来ていない。

起こったこと、感じたこと、考えたことそのまんまで書いてるから、妙ちくりんな箇所があってもスルーしてくれたらありがたい。

 

どんだけ声をあげて泣いても、当たり前なんだけどかっちは戻ってこない。

それを私は知ってるのに、感情はかっちを捜してしまう。

バカげてる。

なんでちゃんと出来ないんだろう。

なんでこんなんになっちゃうんだろう。

やめたい。

全部やめたいよもう。

 

どうにもならない気持ちと感情がごちゃ混ぜで、暫く立ち上がれなかった。


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BABY BABY.

お昼。

部屋の掃除をしていた。

洋服ダンスの上の(結婚式コーナー)なるものがある。

ウエルカムボードやリングピローやクマ。

あとはお式で使った自作の小物や、ヘッドドレスなんかを置いている場所。

そこの掃除をしていたら、タンスの隙間に落ちてしまっていた1枚のDVDケースを見つけた。

(あ、前に妹と見たDVDかぁ)って思って表紙をちゃんとよく見たら(PHOTO DATA)の文字。

 

びっくりなことに、写真のデータを私もかっちも見てなかったのである。

 

 

自分たちで頼んだちゃんとしたカメラマンさんに撮って頂いた膨大なデータ。

多方面からもらった写真のデータでお腹いっぱいになっていた ってのは最早云い訳にならない。

それでも、色んな人にたっくさん写真もらったし。

誰にも撮ってもらってないカットがあったらラッキーだなぁ。くらいに思ってた。

パソコンの電源を付けて、そんなラフな気持ちでディスクを読み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

中身を見て、なんで私たちはこれを見逃してしまったんだろう という気持ちにたちまち支配されてしまった。

やっぱりプロの方だ。

その写真を見るだけで、その時の気持ちがぶわーっと流れ込んでくるし、ワンシーンとしてすぐ思い出せる。

知らないカットも沢山あった。

こんなとこ、撮られてたんだぁ ってのがもう何枚も。

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かっちはこれを見られなかったんだよな。

なんでこんな大事なことを2人して忘れちゃってたんだろう。

これに関してはもう後悔でしかない。

映像だって、どんなに恥ずかしくたってやっぱり一緒に見たかった。

そんな追加の後悔も降ってきて、どんどん自分がやんになってきた。

やんになった自分で、そのデータを携帯に取り込んだ。

ほんと瞬間瞬間の行動だ。

これを今すぐ現像して、かっちコーナーに置かなくちゃって瞬間思って、財布と携帯とパーカーを持って家を飛び出した。

 

 

 

30枚ほど現像して、それらをちらちら見ながらの帰り道。

ショーウインドウ越しに見つけた私の格好はなかなか酷かった。

家着にしてるダルダルの黒いTシャツに黒いスキニー。

黒いパーカーに一番履く時に楽な黒い厚底サンダル。

勿論すっぴんだ。

髪の毛もボサボサ。

こんな酷い姿のまんま、昼間の街を歩いていたのか と肩を落とした。

早く家に帰らなきゃ。

早くかっちコーナーに置かなくちゃ。

そんな気持ちで小走りになった。

あと、こんな酷い格好でいる自分が、なんだかとてもいやだった。

 

 

 

 

 

家に帰ったら速攻でかっちコーナーに2枚飾った。

縦の全身と、私が一番すきだなぁって思った顔アップの2ショット。

かっちと私が顔を寄せて、くしゃって笑ってる写真。

くしゃって笑いすぎて、2人共目がないのwww

写真の中でかっちも私も本当に幸せそうで、いいなぁって思った。

いいなぁ。あの頃の私。

いや、あの頃の私だって大変だったし、しんどかったよ。

でもかっちが隣にいるからね。

もうそれだけでいいよね。

いいなぁ。

心底いいなぁ。なんて思う。

 

 

今月で10ヶ月経つのに、まだ後悔って降ってくるんだね。

しらなんだ。

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母の日 あの最高に照れた顔を思い出すよ

かっちは恥ずかしがり屋だ。

そしてシャイだ。

かっち自身の両親に対して発動力が極めて高い。

付き合い始めて最初の母の日が迫った休みの日。

お母さんに贈る花を見に花屋さんに行った。

かっちも当然なんかするんだろうなぁって思ってたから。

 

両親とも仲が良くて、家族は円満。

そう聞いていたし、実際に挨拶も済ませていたから(何かプレゼントを贈る)ってことに何の疑問もなかった。

だから『かっちはどれにする~?』って聞いた時のあの少し強張った顔。

あの顔は今からするとなかなかにレアだったな なんて思う。

 

 

 

フラワーアレンジメントをちらちら見て挙動不審なかっち。

お店の中で居場所がなさそうにもじもじしている。

私が『どうしたの?』と聞いた、その答えによって総ての謎が一瞬にして解けた。

 

かっち『‥俺、母の日にお母さんにプレゼント贈るの、恥ずかしい!!!』

 

 

 

うそーん とね‥思いましたよ。

アンタ30過ぎの男が恥ずかしいって‥どういうことよ?と思って詳しく話を聞くことに。

20歳の頃にはもう家を出たかっち。

それから盆と正月にはなんとか、本当になんとか帰省するレベルのかっち。

小学生の頃とかはそりゃおこずかい貯めてカーネーション贈ったりしたよ!?なかっち。

わりかしすぐ精神的にも経済的にも大人になったかっち。

親に甘えたり、スマートにプレゼントを渡す術がわからない と溢したかっち。

贈りたい気持ちは俄然あるんだけどね なかっち。

 

じゃあ私を使いなよ!とすぐ云った。

私に云われて~とかでもいいし、なんなら連名でもいいし。と。

気持ちがあるなら贈ってあげて欲しいな。と。

勿論、無理強いはしないよ。と。

うちにはうちの距離感があるように、かっちんちにはかっちんちの距離感があるだろうし。

でも、まだその時はかっちの両親と1度しか会ったことがなかった私でも、(あのお母さんなら手放しで喜んでくれるだろう)と思ったから、そんな提案をした。

 

『ぼっちとの連名 ってことなら贈れるかも‥』と云ったので、連名で贈った。

うちのお母さんにも勿論連名で。

後日、この話をお父さんとしていたら(かっちの気持ち、わかるなぁ~)と。

『男はそういうの、なんか酷くこっ恥ずかしいんだよ』。そうお父さんは云った。

そういうもんなのか と、ひとつ勉強になった。

 

 

 

 

 

母の日当日にかっちの携帯にお義母さんから電話がかかってきた。

携帯の先から漏れる、嬉しそうなお義母さんの声。

恥ずかしそうで、最高潮に照れたかっちの顔。

なんだかありがたいな なんて思ってニヤニヤしながらそんな光景を見てた。

その後、私にも代わってお礼を云われた。

『あの子が母の日にプレゼントくれるなんてもう何十年ぶりかしら』

『ぼっちちゃん気を回してくれたんでしょう、ありがとうね』

かっちの贈りたい気持ちがなければ成立しなかった母の日。

 

それから毎年、母の日と父の日の前のお休みは、プレゼント選びに費やした。

お花、植木鉢、お箸、コーヒーカップ、夫婦茶碗、急須、扇子

いつも見守っててくれてありがとうの気持ちを、色んな物や形にして贈らせてもらった。

好きな人の贈り物を選んでいる時って、本当にワクワクするもんだ。

そんな(かっちとぼっちの親へのプレゼント選びデート)が私はとても好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前スタジオの前に、指輪を磨いてもらいに百貨店に入った。

指輪のクリーニングは無制限で無料なのだ。

二ヶ月に一回くらいのペースで、綺麗にしてもらっている。

その待ち時間、他のフロアをなんとなしに見ていたら目に飛び込んできた(母の日コーナー)。

あぁそっか。今年もこの時期か。

そう思って売り場を眺めてた。

お義母さんに似合いそうな、澄んだ水色のストールが目の前にあった。

多分かっちがここに居たら、これを選ぶんだろうな。そう思った。

お義母さんは元々喉があまり強くなく、夏場でも薄い小さいハンカチを首元に巻いている。

色も形もこれしかないなぁって思って、ストールを持った。

うちのお母さんにはブックカバーとハンカチがセットになってるやつ。

本狂いなお母さん。老眼が進んできたって云ってたけど、まだまだ読んで欲しい本が沢山ある。

そのふたつをレジに持ってって、そのまま郵送してもらった。

 

指輪を受け取りにエスカレーターを登りながら、なんだ、今年も選んで買えたじゃん って胸を撫で下ろした。

いつも(これは?これとかどうよ??)って差し出すのが私で、

(じゃあこれにしよう)って決めてくれるのがかっちだった。

(うちのお母さんは水色とか紫、ぼっちのお義母さんはピンクとかオレンジが似合うから)とか云って、スパンと決めてくれる。

 

 

居ないけど、やっぱ私の中にはかっちがもうどうしようもないくらいに住み着いていて、私は新しい私にちゃんと成らなきゃな って思う。

上手いこと生きれたら一番いいんだろうけど、それはまだ難しいな。

 

さっき、2人のお母さんから連絡が立て続けにきた。

2人共、気に入ってくれたみたいでよかった。

かっちのお義父さんからもラインがきた。

(ぼっちちゃん、お母さんすごくご機嫌だよ!本当にありがとう、またいつでも連絡くださいね)って。

 

予定になかったけど、

本当に偶然贈ることになったプレゼントでも、やっぱり好きな人たちが喜んでくれるのを目の当たりにできることがなにより幸せだなぁ って思った。

かっちも喜んでたら、一番いい。


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優しい音

先月末のお話。

 

その日、0時過ぎ。

私はもう寝ようとベッドに入った。

タオルケットと毛布で自分の体をぐるぐるにして、右側を空ける といういつもの眠りスタイルでだらだらしていた。

 

遠くのような、近くのような、そんな場所から、音がした。

まさかな なんて思った。

それは、もう聞こえるはずのない音だったから。

耳を澄ますと、四方八方からその(音)はする。

聞こえるはずのない音が、聞こえるはずのない空間に鳴り響いていた。

実際に鳴り響いていたのかどうかは分からない。

焦って、携帯のメモ帳に急いで打ち込んだ。

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その(音)というのはメモ帳にも書いた、(携帯カバーをパチン と閉める音)なのだ。

 

かっちは長いこと、縦に開く携帯カバーを使っていた。

それを閉める時、手首のスナップを利かせて(パチン)と閉めていた。

毎日聞く音。

居間でも、寝室でも、生活の音の一部だった。

それから、もう私が聞くことのない音だった。

 

私は、これが物理で鳴っている音なのか、はたまたいよいよ頭がおかしくなった私にだけ鳴ってる音なのか、判別が付かずにいた。

ありえないくらいしんと静まった部屋で、パチン パチン と鳴り続けるかっちの音。

あ、誰かに話したいな なんて思って、友達に(まだ起きてますか)とLINEした。

時間が時間だったし。

起きていたら、この不可思議な現象をちょっと面白おかしく聞いてもらおうなんて目論んでいた。

すぐに友達から電話がかかってきた。

んで、(どうした?)って問いかけに、何も言葉を出せなくなっていたことに気付いた。

あれ、さっきまで戸惑ってたけど(ちょっと聞いてよー)ってテンションで話そうと思ってたのに。

そう確かに思ってたのに、喉元に何かが引っかかってる感覚がして、詰まって喋ることが出来ない。

ここまでひっくるめて、多分私はパニックを起こしていたのだ。

 

 

 

なんとか捻り出した言葉が、(音がして)。

(かっちの音が部屋じゅうでするんです)。

なんともトンチキ発言だ。

その友達は本当に根気良く付き合ってくれた。

本当、深夜になにやってるんだろう。

 

私が、ごめんね、変なこと云ってるよね、ほんとごめんね って謝っても、

(大丈夫、ちゃんと喋れてるし話してることの意味分かるから大丈夫。)って何度も云ってくれた。

いやまじで今思い返しても変なことしか云えてないだろwwwって思う案件だけど。

途切れ途切れ。支離滅裂な話をさせてもらって、その友達はゆっくり話し出した。

(多分ね、似た音なんだよ。すごく似た音。

似た音がどっかしらからして、それをぼっちちゃんは懐かしい、耳馴染みのある音に変換しちゃってるんじゃないかな?)

もうそう云われたらそう思うしかない って位の腑に落ちる話だ。

きっとそうなんだろう。

きっと。

でも、私の中で(でも)も勿論在る。

んだけど。

きっとそうなんだろう。と思うことにした。

 

(まだ鳴っててこわいとか、不安なら今から出てくる?)って優しい申し出を、夜も遅いし、なによりこれ以上の迷惑は…と思って断った。

私はこわくはなかったんだ。

戸惑って、困って、それからほんの少しだけ、懐かしくて優しいのがぶわーってきて、悲しくなったんだ。

こわくはなかった。悲しかった。

そんなことを思い出して、今また悲しくなった。

 

あれから、この部屋にいる時だけ、たまにその音を拾う。

あの日とおんなじ、パチン って音。

きっとそうなんだろう。

きっとそうなんだろうけど。でも、かっちが携帯いじってるのかな とか、そんなバカみたいな話に直結させてしまう。

私の中の(でも)だ。


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