かっちの病気が発覚してから闘病を終えるまで、私もかっちも前向きに明るく努めてきたと思う。
その明るさ、かっちのは本物。私のは本物50%偽者50%だったと思う。
何か悪いことが起こる度に、(〇〇よりはマシだ)って常に下の感情と比べて生きてきたからだ。
でもそれは自分の首をじわじわ絞めていく行為だってことに気付けなかった。
脳の腫瘍が悪性のものでしたって言われた時は、(転移してるよりはマシだ)。
脳の腫瘍は肺からの遠隔転移でしたって言われた時は(骨転移してるよりはマシだ)。
アブラキサンがもう効果なくなってきたようですって言われた時は(効いただけマシだ。効かない人もいる)。
胸水が溜まってきましたって言われた時は(抜けないよりマシだ。体力がまだあるから一気に抜けるし)。
歩けなくなった時は(喋れるだけマシだ。意思疎通できないよりはいい)。
日々を重ねて、その中で確かに生きて、でもそうやって時間を追っていくとどんどんマシのハードルが壊れていった。
限りなくバーは下へ下がってった。
それでもマシを作り続けないと精神を保つことは難しかったと思う。今となってはちゃんと健全な精神ってやつが保ててたとは思えないけど。
気休めってやつか。
でも余命宣告と同時に延命処置をどうしますか?って言われた時だけは、何にも考えられなくなってしまった。
がんの終末期の延命処置はあまりする人がいません。と。
『やっぱ苦しいし痛いんですか?それともさほど意味ないからですか?』
って聞いたら、
『凄く苦しいと思います。思います って言うのは、処置した後に患者さんに(苦しかったですか?)って聞けたことがないからです。少なくとも僕個人は。』
元よりするつもりはなかった延命処置。
最初は生きてればなんだっていいよ って思ってたけど、やっぱりそうじゃない。
私はこれ以上かっちが痛くなって苦しくなって目が虚ろになるのがいやだったのだ。
これまで痛いことも苦しいことも沢山やってきた。精神的にも肉体的にも。
もうこれ以上は って気持ちが大きかった。
翌日、かっちのお義父さんとお義母さんにも同じ話して、2人も同じ気持ちだったからしない って方向でお願いした。なんかしらの書類も書いた。
この状況で考えられる(〇〇よりマシ)シリーズなんてあるのかよって思ってたんだけど、もう究極。
(突然死よりはマシなのかな)。
いやいやいやそれは人による。こればっかは人による。
分かったことはこの時点でもう飛べるハードルがなくなってしまった。
その二択は越えることも潜ることも出来ない。
そうして私は考えることをやめたんだと思う。
しんどい。