白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

『ちゃんと生きるかちゃんと死ぬか、どっちかにしろ。』

本当にそうなんだ。

いやまじで本当に。

痛感した。ちゃんと生きてない、なんか生きちゃってる人間のダメな部分、すごい出してしまった。

 

 

 

 

気持ちの上がり下がりが激しいって話はここでうんざりするほどしていると思う。

今日も今日とて例外ではない。

ここ最近、えんちゃんと電話の行き違いが何度があって、今日は向こうからかかってきた。

 

 

 

今日という日の教訓は何個もある。

そのまず1個目は(辛気臭い話は電話でしてはいけない)だ。

 

 

 

どんなに『大丈夫』って云われても、全然大丈夫にならない。

どんなに『お前は生きてるんだから』って云われても、全然生きてる気がしない。

 

目の前で『バカヤロウ』とどやされるのと比べてしまうといやはやなんとも。

電波に乗った声だけだと効力は弱いようだ。

 

 

 

私の中の時計はあの日で確実に止まった。

かっちと一緒に時計ごとなくなってしまったに違いない。

そう思っていた。

てか今でもそう思っている。

 

それなのに、えんちゃんは云う。

『お前ゆっくりだけど進んでるじゃん。ちゃんと仕事のことも選んで決められたじゃん。ぼっちの中では止まっててもちゃんと動いてるんだよ。』

 

私は『動いてない!止まってる!どこにもいけないしいかない!』

とまた子供みたいなことを云った ような気がする。

バカだ。本当に。

 

えんちゃんは呆れたんだろう。それか悲しかったのか。ため息をひとつ吐いた。

『お前がお前のことを否定すんなよ、頼むから。』

と柔く云われた。

 

 

 

 

 

今日の教訓その2。

(大切な人を悲しませるのはナシ)だ。

ナシ なのになにしてるんだろう。

私は本当にバカチンだ。

未だに『ごめん』と云って怒られてしまう。

『ごめんじゃなくてありがとうって云え』って、この半年腐る程云ってもらってるのにまるで学習しない。

 

 

 

 

 

 

どうしたらいいのかわかんない。

んで、最後に云われたのが『ちゃんと生きるかちゃんと死ぬか、どっちかにしろ。』

 

 

 

 

 

 

私の思いや気持ちを、誰かに100ぶつけたことは今まで生きてきて多分1回もない。

60投げられたらかなりオープンマイハート状態なのである。

それはこうなってしまってからでも変わらず。

それがここのブログでは76は出している気がする。

日によって確実に違うけども。

書くことで、コメントを頂いたりすることで、多少救われている部分があるからだ。

気持ちを整理するのにも役立っている。

でも人に向けてそんなに出せるわけがない。

聞いていて気持ちのいい話ばかりではない。

耳障りの悪い話。

みっともない話。

返しようのない話。

こんなんぶつけたくはない。

でも、えんちゃんには60マックスで曝け出している自分が居る。

いや、もしかしたら63くらい。

だから、見抜かれていた。

ちゃんと生きてない。

私がちゃんと今を生きてないことを。

あいのこで、なんか生きちゃってることを。

 

 

痛いところを突かれた私は黙るしかなかった。

電波に乗った沈黙は非常に重い。

耐え切れなくなって、『仕事終わりなのに長いことごめんね、じゃあ切るね。』と、ものっそ早口で駆け抜けた。

坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた

この竹垣に竹立て掛けたかったのは なんだっけ。この続き忘れた。

早口言葉は苦手だ。

その時にまた、『ごめんって云うな。』って云わせてしまったな。

ほんっと、学ばない。

自分がどんどんいやになる。

ありがとう って云って、急いで電話を切った。

 

 

 

仕事終わりに1時間半も付き合わせて何やってるんだろうか。

ほとほと呆れたろうな。

私も私に対して呆れた。

今日という日で。

 

教訓、もっとあるけど、もっとへこむから今日はこの辺にしとくね。

打たれ弱いし、学ばないし、みっともないしでまじでメンゴ。

あーーあー。なにやってんだろう感に潰されてるよ。

 

 


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