オプジーボが来年度値下げの検討のニュースを読んだ。
高かったもんなぁ。早く他のがんの認可も降りればいい。
かっちは扁平上皮だったから、使うことが出来た。
効いてはくれなかったけど。
でも、心待ちにしていた薬だった。
子供みたいなこと云っちゃうけど、がんで死ぬ人、不慮の事故で死ぬ人、突然の病で死ぬ人ががくんと減ればいい。
本当に子供みたいなことで打ってて笑っちゃった。
子供みたいで、バカみたい。でも本心だ。
元々、すぐ死ぬ死ぬ云う人間が苦手だった。
云われたら『じゃあ死ねば?一定の想像力もないとこれから生きてくのに苦労しそうだしね』とか平気で云ってた。
でもそう返すとみんな死なない。
もれなく死なない。
死ななくて、なぜかその後でそういう人に好かれる傾向にあった。特に女の子(メンヘラホイホイ とよく行くバーで云われてた)。
手首の傷とかをなにかの勲章のように見せ付けられても、なんとも思えなかった。
そんなんじゃ死ねないよ としか思えなかった。
というか本気で嫌がらせかと思ってた。
それか相当のマゾか。
なんでも(本気で向き合ってくれた)と取られてしまうらしい。
そんだけポジティブならそう簡単には死なないだろう。おめでたい。
お笑い芸人でもないのに面白くない(死ね)を云う人、
命を軽んじてる発言をするのに、それに触れると(冗談じゃんw)と切り替える人、
心底苦手だった。
今、前よりきっと苦手度が増していると思う。
心が弱い人が苦手なんじゃない。
私だって弱いし、みんなどっかしらに弱さを持って生きてる。そういうもんだって思ってる。
ただ、私の気分がよくない。ってだけだ。私は苦手。それだけ。
本当に苦しんでる人ってそんなお手軽に命の駆け引きをしないと思う。
んで、いきなりだ。
世の中は平等ではない。
友人関係だって必ず優先順位があるし。
才の割り振りだって人それぞれだ。
秀でている物を持っている人もいれば、何者にもなれない人もいる。
同じ温度で喋っても、説得力を持つ人、欠ける人がいる。
同じ温度に変わりはないのに。
でもどうしてかっちだったんだろう。
どうして。
死にたい死にたい殺してほしいもう死ぬねって全方位に向けて発信していた彼や彼女は今日も元気に生きている。
死にたい死にたいって云いながら、今日も生きている。
世の中は平等ではない。
次いで云うなら矛盾だらけだ。
そんなこと分かってるけど、子供じみた思考に支配される瞬間がある。
どうしてかっちだったんだろう。
もっといるじゃん。
死んでもいい人 とは云わない。死を望んでいる人が。
明るいことを求めているのに、脳内が薄暗い。
から、ついでに書いておこう。もういいや。今日はこんなんだよ。
(神様は乗り越えられる試練しか与えないんだよ☆)
吐き気がする程、嫌いな言葉。
誰がこんな酷い言葉を生み出したんだろう。
誰かを慰める為の言葉だったのかな。
気になって今調べてみたら聖書の一節だったようで。
こんな言葉ぽっちで慰めになるか。救いになるか。
神様は居ない。居たとしても私にはかっちだった。
じゃあ、乗り越えられないから、戻してくれる?
買い被りすぎっすよーー我々にはそんな試練無理っすよーー超平和主義者だって云ったじゃないっすかーー武器与えられても多分1回も抜刀しないタイプっすよーー
って大声でお伝えしたい。
乱文すぎる。これ文字で書いたらきったない字にしかならないんだろうなぁ。
お似合いです。乱暴な文章に汚い字。
でもきっと私はざっと読み返して、少し悩んで、(公開する)ボタンを押すんだろう。
どうしてなんだろう。
書いていると救われることも、物事を整理することも出来る利点がある。
でもこんな日はただただ自分を追い詰めて苦しめているだけ。これ難点。
なのに書いてしまう。考えて、思いついて、書いて、残そうとしてしまう。
これもまた矛盾で引っかかって、動けなくなってしまう。
無限ループは私の思考が飽きるまで続いてくもんなんだろうなぁ。
諦めよう。