白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

21:14ひとりごと+さんにんごと

物理的にひとりにならないという事実は、すごく楽だ。

すごく楽で、

息が出来て、

生きていられて、

そんでもってどうしようもないくらい苦しい。

なんでもいいわけじゃないし、

なんならだめなことは増えていく。

苦手なことも人も増えてくけど、

時間はエグいくらい進む。

助けてとか、しんどいとか、云ってしまったらどうなるんだろう。

会いたいとか、悲しいとか、どうやって人に伝えればいいんだろう。

もう周りの人がどんどんかっちを忘れてってしまう。

それが私は(別にいい。それであなたが安らぐんならいい)って思える日と、

(薄情だ。なんでもうなんにもなかったみたいな顔が出来るんだ)ってもやもやが溜まる日がある。

どっちもある。

今日はすこぶる後者で。

どんなに心開いてる友達にも、一緒に居てくれる友達にも、

こんな気持ちは吐露出来ない。

保身なのか、なんなのかわかんないけど、

私が勝手に意固地になってるみたいだ。

ってかきっとそうなんだろうけどwww

自分の親ですら、かっちの話をしなくなってしまった。

きっと気を遣ってくれてるんだろうな。って思ってたけど、

なんかもうどーだっていいやって気持ちになってきた。

物理的にひとりにならないという事実は、考える隙も、

悲しむ隙も、(物理的だから)埋めてくれる。

でもやっぱり苦しいと感じるのは圧倒的に自分がわがままなんだろうな。

 

今日の昼過ぎに、ふとかっちのお父さんとお母さんが頭をよぎって、帰ったら電話をかけようと目論んでたの。

んで、今かけたの。

この上の二行打つ前に、ブログ書くの一旦やめて、電話かけた。

そしたらすごくびっくりしてて。

なんかね、19日の夜から20日の朝にかけて、お父さんは夢を見たんだって。

初めてかっちが夢に出てきたんだって。

んで、朝から食卓は小規模パーリィ状態だったと。

その時に(ぼっちちゃんと最近話してないけど、元気かなぁ)って話をしてたから電話あってびっくりしたんだと。

(なにかかっちが俺に知らせようとしてるのかもなぁ)って左耳で聞いてて、本当にびっくりした。

19日は私の誕生日だったから。

超偶然だと思うけど、あんだけかっちと一緒に居たお父さんが今まで一度も見たことなかったかっちの夢をみたのが自分の誕生日で、それを聞いて私は途端に嬉しくなった。

きっとたまたまだけど、占いも嬉しいことは信じようって気になるもんだからまぁいっか。

てか今日のブログ、ものっそ鬱々した始まりだったのに、途中嬉しいことがあると瞬間あったかくなる。

単純でいたいよ。もっと単純でいさせてよって思う。

いや寧ろこのテンションの差は情緒が不安定過ぎるやもしれない。

それもいつものことなんだけど。

きっと見えないなんかが働いてるんだろうなって思うことにして。

ありがとうね。

 


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しょうがないのプロ

お久しぶりです。またほんとにお久しぶりになっちゃった。ぼっちです。

皆さんが少しでも楽な感じで自分自身に優しい毎日を過ごせていたらいいな なんて思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ最近の私。

波風立たないというか、良くも悪くもなにもない。

あれ、日常ってこうだった?って一度立ち止まって、いやいやこれもまた違う。ってなんとか歩き出す。胸にストンと落ちた違和感を無理矢理殺す。超上手くなったよ。殺し方。

その違和感の塊が殺し切れなくて、欠片が溜まっちゃうとたちまち身体に出ちゃうのはもうしょうがない。大丈夫、私はしょうがないのプロなんだから と謎の自信もついた。

多分同じ境遇のみなさんそれぞれが、しょうがないのプロだと思う。

じゃないとこの世界じゃもう生きていられないと私は勝手に思ってる。

 

一生違うルート入っちゃって戻れない。しょうがない。 ってことには変わりがないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚記念日→誕生日→クリスマス→年末年始のフルコンボが決まるこの時期がやっぱり私は強烈に嫌いだ。

(最高に詰んでるドン!)と脳内太鼓の鉄人が囁く。うっさいわwww

なんてこの前仕事中に思ってたけど、私もう春夏秋冬で好きな季節が見つけられなくなってた。

好きな人はいっぱいいるのに、好きなこともそれなりにあるのに。

執着も出来ない、愛着も持てない人間が四季のことなんて考えないわなそら。

誘われれば花見も海も紅葉もスノボもいくよきっと。

自己発信がないってだけだ。

 

かっちにお伺いを立てる私は非常に多かった。

それにすぐ乗ってくれるかっちが居た。

リアルに思い返して今思うことは、なんか私、超生きてたなぁ という雑感しかない。

能天気に毎日超生きてた。

大人に使う言葉じゃないけど、すくすくと健やかに生きてたや。

 

 

 

今だって全然精神は大人に成れてない。

瞬間が楽しけりゃいいし楽ならいーやの精神しか持ち合わせてないから、寧ろ前より幼く、危うく脆くなったような気がする。

今の私の全部なんてこんな感じだ。


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三回目の夏

また大分時間を空けてしまっていたな。

前に書いたのが今見返したらもう4月のことだった。

ご無沙汰しております。ぼっちです。

 

 

 

 

先週、無事かっちの三回忌を終えて、ぼうっとしています。

 

 

ぼうっとしているってなんだよな。

みんな三回忌。

みんな三回目の夏。

私も、三回目だ。

 

 

おんなじなはずなのに、やっぱりどこかしら違ってて、

それは勿論。それぞれの時間が流れている。

どーしたって私の立場は、こうだ。

上手いこと云えないな。相変わらず。

ブログ全然書いてないから言語化能力が著しく下がっているような気がするんだよなぁ。

これまじで。

一瞬口ごもってしまう変な癖ができてしまった。

 

 

すっごく気を許している仲のいい友達に、

友達『30日休みなのなんで~?』

ってさらっと聞かれた時に、普通に答えればいいのに。

何て返せばいいのか。

何て返せば違和感なく聞こえてくれるかな。

何て返せばこの後のやり取りが重くならないで済むかな。

何て返せば無難にやり過ごせるかな。

とかいらんこと考えて口ごもってしまう。

ほんといらない、変な癖だ。

 

 

結局、『あーーかっちの?命日なんだよねーーー流石に働きたくないやwww』

みたいに、ノータイムで返せなかったくせにものっそ普通なこの回答。

友達『そうだった…!すまんね!今めっちゃぼっちにいらん気を遣わせたね!』

って謝られる始末だ。

アカンなぁ。すまんなぁ。謝らないで。

ってもやんとしてしゅんとしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は生きている。

生きてるっていっても、きっと二年前、一年前とはまた違う生き方をしている。

(なんとなく生きちゃってる)

ではなく、

(一応生きてるつもり)

くらいにはなった。はずだ。

 

 

毎日泣かなくなった。

ご飯を食べるようになった。

友達と遊びに行って、

飲みに行って、

音楽も出来て、

仕事にも行って、

楽しいことがあったら笑うし、

やなことあったら心がざらつく時もある。

 

これは、これ。

かっちのことはまた、べっこ。

どー頑張ってもべっこにしかならない。

これが私の三年目、現時点での答だ。

それはそれ、これはこれ。

点と点が必ずしも繋がるわけじゃあない。

多分何度もこのブログでそう云ってきた。

 

友達と楽しく遊んで、ウルトラハッピー!!

だから私、もう大丈夫です。

だとか、

仕事超楽しい!調子いい!わっほいイケてる!!

だから私、もう立ち直りました。

 

とかじゃない。

いつかそれは変わるのかな って思ってきたけど、もう変わらないんだろう。

起こった事実はそのまま、ずっと私の根っこで生きるんだ。

 

 

 

 

 

これから先、どんな人と出会って、どんな私になるのかなんてわからない。

もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。

いきなりアラブの石油王と結婚する日が来るかもしれない。

夜の蝶的な、場末の女になるかもしれない。

いや、性別が変わるかもしれない。

わかんないよ。誰にもわかんない。

 

でも、どこに居たって何をしてたって、この根源の(それはそれ、これはこれ理論)は変わらない。んだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今だって会いたい。

甘やかされたい。全力で。

甘やかしたいし、何より(今までの日常)を過ごしたい。

何もなかったような顔をして、半歩後ろで安心してたい。

頑張る理由を探しながら生きて、

それでもたまに疲れた時はこうやって、たらればに耽る。

私は生きてるけど、全然弱いまんまだ。

 


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なくならないならもうそれでいいや

 

 

随分と。本当に随分とご無沙汰しております。ぼっちです。

生きてる。なんとかかんとか生きてる。

ふと、この感覚を忘れちゃ駄目な気がする と思って今書いてる。

 

 

 

 

 

 

 

このブログを書いていなかった期間。

私はどう生きていたか。

心境の揺れや体調の変化。

色んなことがあって、頭を抱えた。

嬉しいこともあって、手放しで喜んだ。

誇らしいこともあって、自信がついた。

今の私を本気で必要としてくれる人や物事に、なんとか甘えようと努力したり。

色んなことが毎日あるんだよかっち。

それでも私に優しい日を選べてるつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず仕事。

 

ブログを止めた去年の8月。

8月末からまた働き始めた。

結果、私が選んだのはかっちの世界じゃなく、私の元いた世界。

かっちの見てた世界を見られたら とか、散々かっこいいこと言ってたけど、正直やっぱりこわかった。

ただ私がひよった。怖気づいた。

どっちでも(責任)って問題からは逃げられないもんだと思ってたけど、

前者はかっちと私の責任。後者は私だけの責任。

耐えられないかもな って冷静に考えて、元いた会社に戻った。

同じ会社だけど、事務業から完全にプレイヤーになった。

それでも、私を戻したい ってずっと動いてくれてた社長の顔を潰しちゃいけない!って気負いは今も私の中で続いている。

だから仕事頑張れてるのかな。

一日6時間。約週4日。

マージンがほとんどの仕事だから、その時間内ですっごい頑張れば東京で生活に困ることはない。

結局私は、実家にも帰らず、まだひとりで東京にいる。

でも、仕事が出来るようになったよ。

家で飲んで、泣いていた時間をお金生める時間に使えるようになったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

お酒をひとりで飲むことが殆どなくなった。

 

なんでだか言語化しろって言われると困っちゃうんだけど、手を伸ばさなくなったし、夜ひとりでふらっと出かけることがなくなった。

引越しで行きつけの飲み屋になかなか行けなくなったことも理由のひとつかな。

友達と飲んだりするのは今も好きだけど、先が見えない飲み方をもうしなくなってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体調のこと。

 

引越ししてから、めまい症が再発したのは今んとこまだ1回だけ。

めまい引いて、また1日経たずに再発 ってループを繰り広げていた去年からしたら、きっと大分いいんだろう。

耳鳴りもなくなった。

胸の苦しさみたいなのはまだたまにあるんだけど、動ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうあと3ヶ月でかっちが死んじゃって2年経つのか。

どんどん普通の人みたいに動けることが出来て、

やれることも増えてって、

それでもやっぱり、今でも変わってないことってのはあって。

色んな人に支えて、甘えさせてもらって、なんとか生きてるんだけど。

やっぱりもう人間に依存したり、全乗っかりなんて到底出来ないんだな ってこと。

この思考はかっちがいなくなってから全く変わってない。

帰る場所がかっちだったから、私は私だったし、今の私も存在してる。

帰り道にめちゃくちゃ思う。あいたいなぁとか、声聞きたいなぁとか。

かっちもそうだろうよと。勝手にそう思ってる。

あの世システムはやっぱり分からないから、自分に都合よく考えちゃってる。

自分ばっか年重ねるの超ヤなんですけどー とか、

自分ばっか悩みながら生きるの超しんどいんですけどー とか、

そんな雑音も自分の中には確かにある。

でもかっちもやだろうに って考える。

ぼっちにだけ年取らせてすまんなぁ とか。

ぼっちばっかりしんどい思いさせてごめんやで とか。

世の中に絶対はないけど、かっちは天元突破で優しい人だから絶対そう思ってる。

その部分もぶれないなぁ。これはきっとずっとこうだ。

だって私の中で、かっちとのことはかっちが生きて、私と一緒に居てくれた時間が総てだ。

もう増えることのない時間だけど、減ることもない事実。

 

またかけたらかこう。


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怒りの話と優しくないひとりごと

現実の中で逃避をするようになったな と思う。

事実の点と点は総てが線で繋がるわけではない と思うようになってから、そんなだ。

 

 

 

 

この前、友達と話している時に聞かれたことがある。

『ぼっちちゃんって怒るんですか?』と。

その友達は人の、人に対して怒る所がなんとなく想像出来るらしい。

この人は怒ったら恐そうだなぁ とか。

この人は感情的になりそうだなぁ とか。

でも私から(怒り)とか、(憎しみ)みたいなものを一切感じないのだと云う。

全く想像が出来ないからちょっと教えて と云われて思わず笑った。

いやいや。私だってあるよ と。

不快な思いをさせられたらそれがなんとなく伝わるような空気にしてやりたい とか、意地の悪いこと思うし。

実際したことだってあるし。

きっと怒らないってだけで色んな人を言葉で傷付けた。

過去に理詰めで論破して女友達に泣かれ、感情的になられたこともあった。

その時に、(ぼっちちゃんの云うことは確かに正しいかもしれないよ。でもそれは私に優しくない!)

と泣きながら云われた。

ほとほと困った。

それでも自分が感情的に怒ったり、言い合いの喧嘩みたいにはならない。

多分、他人にあまり期待をしていないんだと思う。

感情的に自分の思いをぶわーーって云えるのって、その意見が(通る)とか、(どうしても通したい)って思ってるからだろうなぁって。

他人だし。

分かり合えるわけないって思ってる。

かっちとだってそう思って一緒に居た。

1人と1人はどう転んだって、どう縺れたって2人だ。

ひとつにはならない。

でもそれがいいんだって。

ひとつになれない2人が一緒に居られるのがすごいんだって。

そう思ってずっと隣で平和に生きてきた。

んで、人にもよるけど(こんだけ暴言吐いても、大丈夫)ってラインがあまりない。

基本的に怒られることが苦手で、

暴言とかも苦手だから、それを自分がやるって選択肢がない。

だったら無言で去ってしまった方が労力も遣わず、自分を傷付けず、楽なのだ。

 

こんなようなことをものっそ圧縮して云ったらその友達に、

『達観し過ぎてて、寂しいな』って云われた。

続けて、『だからかな、ぼっちちゃんと喋ると自分の怒りみたいなものもないように感じるなぁ』って。

嬉しかった。

確かに寂しい奴だけどwwwでもその言葉は投げられて嬉しかった言葉だった。

 

 

 

 

 

最初の話。

現実の中での逃避の話。

自分の能力が低いからすっごい言語化するの難しいんだけど、完全に記録用。

ガチのひとりごとだと思って付き合っていただけたら。

読んでくれる人に対して優しくなくてメンゴ。

 

白と黒がありました。

白の中で生活してました。

白の世界でどーしようもなくなったので、黒の世界に遊びに行きました。

気も紛れるし、時間も使えるのですが、ちゃんと白の世界に戻らなくてはいけません。

戻った瞬間から、そのテンションなんかの明確な差異に自分が着いていけなくなりました。

自分はどっちなんだろう 何者なんだろう と使わなくてもいいはずの思考回路が廻ります。

疲れます。

これが現実から逃避してたパターン。

 

白と黒がありました。

白の中で生活してました。

白の世界でどーしようもなくなったので、その場で真空パックの中に黒を創りました。

白の中にいくつか点在する黒の真空パック達。

それはそのまま。

多分ずっとそのまま。

これが現実の中で逃避してるパターン。

これめっちゃ楽なんだなぁって。

その真空パックは自分のポッケから取り出したり、友達が持ってたり、きっと様々で。

それがありがたい。

そりゃみーんな他人だけど、他人だからこそ。ありがたい。

このパターンにもどっかに落とし穴的なものあるのかな。

だとしても今は分からないし、気付かない。

自分でその道や空間を歩いてみてどうなのかを確かめながら生きるしかないんだなぁ。

ってかこんなこと真面目に考えてる自分に笑えてくるwww

もう朝なのになにしてんだろwww


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7月

かっちの一周忌を終え、東京に戻ってきた私は隙間を埋めるように遊んだ。

友達と会ったり。

一緒に飲んだり。

ひとりで飲んだり。

そうやって、きてしまうその日に向けて現実の中で逃避 というか準備していた。

 

 

 

その日は海にひとりでいこう。

なんとなくぼんやりそう思っていた。

 

毎年8月頭に花火大会がある、かっちの親戚んちの近くの海。

付き合い始めてから毎年、その海には遊びに行った。

行かない年はなかった。

一昨年だって、抗がん剤治療中に行ったんだよ。

少し泳いで、夜花火を見て、体力的にはもうフラッフラだったけど、

かっちの(これてよかった)(楽しかったね)に救われた思いで。

花火大会の日ではないけど、ひとりでぼうっとしたかった。

ほぼ地元の人しかいないような静かな海だから、ちょうどいいな なんて。

 

 

 

 

でも急に事態は大きく動く。

そんなこと云ってられなくなった。

 

26日、朝起き抜けカフェオレを飲んでいたら家族のグループラインが動き出した。

発信元はお父さん。

朝っぱらからどしたどした と思って携帯を見たら。

じいちゃんが亡くなった と。

右手に持った携帯の中でとんとんと詰まれてく妹とお父さんのやりとり。

おうちで亡くなったから警察や検死が入る。今日明日で動かないから別に来なくて大丈夫だよ。

といった内容だった。

 

私はそれでも実家に行って、なんらかの手伝いをしようと思った。

思ったのに、動けなかった。

ずっとベッドの下で体育座りして、時計を見たりしていた。

別に特段おじいちゃん子!!ってわけではないし、

じいちゃんももう90オーバーだったし、

それでも。

祖母が亡くなってからの交流はとても良いものだったなぁ とか、

数独の解き方を教えてもらったなぁ とか、

麻雀を教えてもらったなぁ とか、

戦争の話をよくしてもらったなぁ とか、

じいちゃんお酒が好きだったから、もっと前からフランクに話せていたら一緒に飲めたのになぁ とか。

 

なにより、なんかもう、これ以上家族が死ぬの、やだって思った。

なんでみんな7月なんだ。

なんなんだよ、ほんとに。動けよ。実家戻れよ。

なんて自分に対して思いながら、それでも動けずにいた。

まじで時計見る以外何してたんだろう。

15時くらいまでぼうっとうだうだしていた。


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瞬間瞬間の本気

一周忌の日はかっちの実家に泊まった。

いつもかっちと帰ると一緒に泊まる、かっちの部屋。

ほーんと、なんでここにいないんだろうなぁって思いながら、寝不足+アルコール+疲れもあって、ストンと眠りについた。

 

 

朝、お義母さんの作ってくれた朝ごはんを食べながら、昨日の記憶をなぞってみた。

お義父さん、お義母さん、お義姉さん、お義姉さん旦那さんといっぱい話したなぁ。

かけがえのない時間だったな。ありがたかったな。

みんなかっちのことが好きで、

最後まで諦め切れなくて、

強くて弱くて、

そんな空間が私に優しくないはずなかった。

 

 

 

 

 

 

夕方前に私は東京に帰った。

帰る場所は、かっちが過ごしたことのない街。

私もまだ半月ちょいしか知らない、そんな街。

 

私の選択に、私はもう嫌悪感を抱かない。

でも、時々襲ってくる(やだな)のせいで、物理的に動けなくなってしまう。

外に一歩出れば、なんとかなることはちょっとっつ理解してきた。

体感も十分ってくらい出来てる。

頼りになる、周りの人の気持ちやパワーにあやかれる自分もちゃんといた。

こんなに理屈が通らない世界があるなんて知らなかった。

とことんイレギュラーな毎日はまだ変わんなくって、

なにより苦しい。

悲しいって気持ちより、苦しいとか悔しい気持ちが今めきめきと育ってきているこの謎感覚。

寂しいのも勿論ある。

そんな時、人にどうしても頼ってしまう。

これが自分の最大の強くて、そんで弱いところだなぁって思う。

人と関わるってことは、どんな関わり方をしていても人を巻き込んでしまう。

それが恐かった。

恐かったから、心のどこかでセーブしつつ。

けど、今わりかしどーでもいいというか。

私が考えることじゃないな って簡単に思考を切り離すことが出来てしまうようになった。

自分のこういう部分に救われてきたりもしたけど、

自分のこういう部分が心底嫌いな自分もいる。

だって、そんなこと云いながらも完全に縋ることなんて出来ないんだから。

完全に頼ったり、縋ったりも出来ないくせに、人に対しての思いやりが減ってしまった気がして、そんな部分も(やだな)ポイントなのだ。

なのにやめることができない。

 

 

明日になったらまた違うこと思ってそうだし、云ってそう。

そんなことがどんどん歪に重なって、積ってく。


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