白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

1:34ひとりごと

前にブログを書いた時からも日々は変わってく。

私はというと、決まってた4月のライブは辞退した。

でも仕事には行かなきゃいけない。前書いた通り、そこは運ゲーのまんま。確率は日に日に上がってく。

もしかしたら自分がもう既に保菌者だったら って考えながらの生活は確実に蓄積型のストレスだし、なによりかっちの実家、自分の実家、妹の家には暫く行けない。

私はかっちのいない東京にいる。

でも私が選んで、今もここにいる。

今はお花見の季節でさ、SNSには(来年いっぱい見に行こう)って文字が飛び交ってて。

その文字をスクロールしながら、(来年がない人も確かにいるんだよなぁ)なんて考えてた。

私にだって、来年があるなんて約束されてないからわかんないし。

今の時期に抗がん剤で入院中の方とか、そのご家族、その人のことを大切に想う人たちはどう過ごしているんだろうって考えるだけで、喉が閉まって鼻先がツンと痛くなる。

肺炎なんて起こしたらって考えるだけで恐ろしい。

闘病中ってだけで遥かにハードモードなのに。もうこれ以上悲しい想いをする人がいなくなればいいのに。とか、非現実的なことばかり頭をぐるぐるかすめる。

くらいには、情緒不安定な毎日だ。

今回の新型コロナウイルスの件で周りのクリエイター友達やお世話になってる方々にも沢山影響が出てしまていて、そんな悲鳴を毎日四方八方から聞いていたら色んな声に感情移入しそうになって、心が疲弊してきてしまっている感じ。

スーパーからは物が消えて、開店前のドラッグストアにはお年寄りが毎日毎日長い列を作っている。それを横目に電車に乗って仕事に行く。

一個前のにも書いたけど、がむしゃらに守りたいものがみんなあるんだろうな。

あるからみんな、そんな必死なのかな。

薬局でこの前初めて遭遇したよ。店員さんに怒鳴ってマスクの入荷日を聞くおばさん。と、その娘。うわーツイッターで沢山こんなん流れてきてたけどマジじゃん… ってびびった。びびったし引いた。

がむしゃらに守りたいものあったら、かっちが居たら、私もそっち側なのかな。

わかんない。

わかんないけど、もう何にも悲観したくないのに、嫌になりたくないのに、がっかりしたくないのに、って想いがどんどん私の中に溜まってく。

きっついなぁ。

 

 

 

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隙間でおもうこと

世間ではどこもかしこも絶賛コロナパニック中。

私も体調を崩してなかなか微熱が下がらず、出勤自粛みたいな形を続けてしまった。

マスクもトイレットペーパーも騒動以来まだ買えていない。

おうちにはストック分として4ロールあった。んで、私と同じように変えずに残機が尽きてしまった近所の友達に2ロール分けたので残り2ロール。

かっちがいたらこの状況下をどう生きたんだろうなぁって、隙間の時間にふと考える。

 

多分通常運転なんだろうな って瞬間思った。

大丈夫だよ~って。自分と自分の周りに限っては~ってヘラヘラしてるんだろうな。きっと。

私もきっとそうだった。

ただ、かっちの状況によって違うかな。

病気がわかる前だったらきっと私もヘラヘラして、かっちよりは(備えておこう)(自衛しなきゃな)って意識があるレベル。

闘病中だったら多分、全力かっち守るマンと化して、色んな物事や情報にアンテナ張り巡らせてきっとめっちゃ疲れるなwwwって安易に想像が出来る。

んでこの想像が私は楽しい というか心地好い。今現在。

 

 

今の私はきっと前より遥かにどーでもよくって。

エンタメ界隈に身を置いているから色々と思うことはあるけど、それでも自分が感染する・しないはもう運ゲーだと思ってる節がある。

感染させない為の手洗いうがい等の当たり前と云われていることは勿論やってるけど、過剰に騒がない。

てか手洗いうがいって毎日のことだし。

都内の満員電車利用者だし。

 

がむしゃらに守りたいものがない人生にまだ慣れてなくて、どうしても極論に傾きがちなのはわかってはいるんだけど、

なかなか自分を大事にする、守る、という発想になれないし慣れない。

私は、かっちがいた時の私がやっぱりまだ一番好きなのだ。

 

今の自分もそら嫌いじゃないけど、ものさし自体私の中にもうないのかもしれない。

 近いようで遠い記憶と、消えた未来の中間地点に揺るぎない事実だけ抱えて立って、

私はどう生きればいいんだろう。

 

大好物と大切な人

今年は出来るだけ嘘をつかないようにしたいです。

ご無沙汰してます。ぼっちです。生きてます。

 

 

 

 

年明けから、なんか気持ちが、なんだろう。とてもよくなくて。

体調も去年の11月頭位からなんとなく悪くって。

熱出て、下がって、咳出て、また熱出て の治り切らないループがずっと続いてて。

どーしたって私の誕生日、クリスマス、年末、年始、かっちの誕生日までのフルコンボ時期がしんどくて。

もやもやばっかり。

精神的にも苦しかった。

当たり前にみんな寄り添ってくれるけど、

やっぱり時差みたいなのを常日頃感じてしまうのは否めない。

もういい加減それ自体には慣れてきた。

しょうがない。自分がおかしいんだ。いかんせんイレギュラーなんだもの。ってすっと飲み込めるようにもなった。

時間ってやつが私を少し、生きやすいようにしてくれたのはこの部分が大半を占めているのかもな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も年始にさ、かっちの実家に行ったんだよ。

正直、ブログ書いてなかった間に自分の両親とちょっといろいろあって。

それも後々吐き出せたらいいんだけど。まぁ今はいいや。

なもんで今年のお正月、実家には帰れていない。

かっちの実家はやっぱりいつでも落ち着く。

お義父さんもお義母さんもゆっくーり喋る人で、そのリズムがいつだって私には心地よいし、私には正解なのだ。

 

かっちがいなくなってから4回目のお正月。

毎回行くと必ず出てくる料理がサラスパとエビフライ。

これはかっちの実家での大好物だ。

かっちと一緒に帰る時も毎回この二品はテーブルの上で我々を待ち構えている。

 

私はこれらを、かっちがいなくなってからもずっと食べてるんだな ってことに今年、初めてちゃんと気が付いた。

 

というのも、その日は夜にお義姉さんが夜ご飯を食べにくる予定だったらしく、お義父さんとお義母さんはおせちを軽くつまむだけにするね~って話だったのよ。

私が行ったのは昼間だったから、小食の二人は夜ご飯の為に胃袋を少し空けておきたいと。

だから私もおせちだけつまむ気満々だったのに、冷蔵庫からエビ2尾とサラスパてんこ盛りを出してきた。

(えっ それ私だけの為に揚げるの?いいよいいよおせち沢山食べますよ!)

って勿論云った。

だけどお義母さんは(いーのいーの作りたいの!)ってエビ2尾をあっという間にエビフライに変えた。なんでや!と正直ちょっとビビった。

 

んで、ご飯食べようってなって、私がサラスパとエビフライとおせちを食べてったらお義父さんもお義母さんも全然食べないで、ニコニコした顔で私を見てるの。

私が生きて、私がかっちの両親の前で、かっちの好物を食べる。

振り返れば毎年そうだった。

 

私は勝手だ。とても勝手な人間だ。

だから想ってしまう。

お義父さんとお義母さんだけは、私の姿を見て、かっちの影でもなんでもいい。

なんでもいいからかっちを感じていてほしい。とか願ってしまっていた。

それが人によってはしんどいとか、辛いことかもしれないのに。

どんどん昔のことみたいになってちゃって、

はて。かっちとの日々は私だけが見てた夢か幻だったのかな って思うような毎日の中で、

実家の両親に何も云えなくて、

私にかっちがいたことがなかったことみたいになってくのがひたすら嫌だって思ってたから。

余計にそんなこと願ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、東京に戻った私は

(かっちの代わりに成れてるのかな、私)

って、友達に打ち明けてみたら、

(誰もかっちさんの代わりになんて成れねーよバーカ)

って至極真っ当なことを云われた。ですよねー。

(ぼっちのことをひとりの娘として、自分の息子が選んだ大切なお嫁さんとして、大事にしてくれて想ってくれてるんだよ)

って。

 

生きてる意味とか、理由とか、これだ!ってものはわからないし降ってこないけど、

私はこの二人が元気で生きていてくれてる間は、ちゃんと今の私を見せないといけないな って実感した。

 

 

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21:14ひとりごと+さんにんごと

物理的にひとりにならないという事実は、すごく楽だ。

すごく楽で、

息が出来て、

生きていられて、

そんでもってどうしようもないくらい苦しい。

なんでもいいわけじゃないし、

なんならだめなことは増えていく。

苦手なことも人も増えてくけど、

時間はエグいくらい進む。

助けてとか、しんどいとか、云ってしまったらどうなるんだろう。

会いたいとか、悲しいとか、どうやって人に伝えればいいんだろう。

もう周りの人がどんどんかっちを忘れてってしまう。

それが私は(別にいい。それであなたが安らぐんならいい)って思える日と、

(薄情だ。なんでもうなんにもなかったみたいな顔が出来るんだ)ってもやもやが溜まる日がある。

どっちもある。

今日はすこぶる後者で。

どんなに心開いてる友達にも、一緒に居てくれる友達にも、

こんな気持ちは吐露出来ない。

保身なのか、なんなのかわかんないけど、

私が勝手に意固地になってるみたいだ。

ってかきっとそうなんだろうけどwww

自分の親ですら、かっちの話をしなくなってしまった。

きっと気を遣ってくれてるんだろうな。って思ってたけど、

なんかもうどーだっていいやって気持ちになってきた。

物理的にひとりにならないという事実は、考える隙も、

悲しむ隙も、(物理的だから)埋めてくれる。

でもやっぱり苦しいと感じるのは圧倒的に自分がわがままなんだろうな。

 

今日の昼過ぎに、ふとかっちのお父さんとお母さんが頭をよぎって、帰ったら電話をかけようと目論んでたの。

んで、今かけたの。

この上の二行打つ前に、ブログ書くの一旦やめて、電話かけた。

そしたらすごくびっくりしてて。

なんかね、19日の夜から20日の朝にかけて、お父さんは夢を見たんだって。

初めてかっちが夢に出てきたんだって。

んで、朝から食卓は小規模パーリィ状態だったと。

その時に(ぼっちちゃんと最近話してないけど、元気かなぁ)って話をしてたから電話あってびっくりしたんだと。

(なにかかっちが俺に知らせようとしてるのかもなぁ)って左耳で聞いてて、本当にびっくりした。

19日は私の誕生日だったから。

超偶然だと思うけど、あんだけかっちと一緒に居たお父さんが今まで一度も見たことなかったかっちの夢をみたのが自分の誕生日で、それを聞いて私は途端に嬉しくなった。

きっとたまたまだけど、占いも嬉しいことは信じようって気になるもんだからまぁいっか。

てか今日のブログ、ものっそ鬱々した始まりだったのに、途中嬉しいことがあると瞬間あったかくなる。

単純でいたいよ。もっと単純でいさせてよって思う。

いや寧ろこのテンションの差は情緒が不安定過ぎるやもしれない。

それもいつものことなんだけど。

きっと見えないなんかが働いてるんだろうなって思うことにして。

ありがとうね。

 


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しょうがないのプロ

お久しぶりです。またほんとにお久しぶりになっちゃった。ぼっちです。

皆さんが少しでも楽な感じで自分自身に優しい毎日を過ごせていたらいいな なんて思ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここ最近の私。

波風立たないというか、良くも悪くもなにもない。

あれ、日常ってこうだった?って一度立ち止まって、いやいやこれもまた違う。ってなんとか歩き出す。胸にストンと落ちた違和感を無理矢理殺す。超上手くなったよ。殺し方。

その違和感の塊が殺し切れなくて、欠片が溜まっちゃうとたちまち身体に出ちゃうのはもうしょうがない。大丈夫、私はしょうがないのプロなんだから と謎の自信もついた。

多分同じ境遇のみなさんそれぞれが、しょうがないのプロだと思う。

じゃないとこの世界じゃもう生きていられないと私は勝手に思ってる。

 

一生違うルート入っちゃって戻れない。しょうがない。 ってことには変わりがないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結婚記念日→誕生日→クリスマス→年末年始のフルコンボが決まるこの時期がやっぱり私は強烈に嫌いだ。

(最高に詰んでるドン!)と脳内太鼓の鉄人が囁く。うっさいわwww

なんてこの前仕事中に思ってたけど、私もう春夏秋冬で好きな季節が見つけられなくなってた。

好きな人はいっぱいいるのに、好きなこともそれなりにあるのに。

執着も出来ない、愛着も持てない人間が四季のことなんて考えないわなそら。

誘われれば花見も海も紅葉もスノボもいくよきっと。

自己発信がないってだけだ。

 

かっちにお伺いを立てる私は非常に多かった。

それにすぐ乗ってくれるかっちが居た。

リアルに思い返して今思うことは、なんか私、超生きてたなぁ という雑感しかない。

能天気に毎日超生きてた。

大人に使う言葉じゃないけど、すくすくと健やかに生きてたや。

 

 

 

今だって全然精神は大人に成れてない。

瞬間が楽しけりゃいいし楽ならいーやの精神しか持ち合わせてないから、寧ろ前より幼く、危うく脆くなったような気がする。

今の私の全部なんてこんな感じだ。


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三回目の夏

また大分時間を空けてしまっていたな。

前に書いたのが今見返したらもう4月のことだった。

ご無沙汰しております。ぼっちです。

 

 

 

 

先週、無事かっちの三回忌を終えて、ぼうっとしています。

 

 

ぼうっとしているってなんだよな。

みんな三回忌。

みんな三回目の夏。

私も、三回目だ。

 

 

おんなじなはずなのに、やっぱりどこかしら違ってて、

それは勿論。それぞれの時間が流れている。

どーしたって私の立場は、こうだ。

上手いこと云えないな。相変わらず。

ブログ全然書いてないから言語化能力が著しく下がっているような気がするんだよなぁ。

これまじで。

一瞬口ごもってしまう変な癖ができてしまった。

 

 

すっごく気を許している仲のいい友達に、

友達『30日休みなのなんで~?』

ってさらっと聞かれた時に、普通に答えればいいのに。

何て返せばいいのか。

何て返せば違和感なく聞こえてくれるかな。

何て返せばこの後のやり取りが重くならないで済むかな。

何て返せば無難にやり過ごせるかな。

とかいらんこと考えて口ごもってしまう。

ほんといらない、変な癖だ。

 

 

結局、『あーーかっちの?命日なんだよねーーー流石に働きたくないやwww』

みたいに、ノータイムで返せなかったくせにものっそ普通なこの回答。

友達『そうだった…!すまんね!今めっちゃぼっちにいらん気を遣わせたね!』

って謝られる始末だ。

アカンなぁ。すまんなぁ。謝らないで。

ってもやんとしてしゅんとしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は生きている。

生きてるっていっても、きっと二年前、一年前とはまた違う生き方をしている。

(なんとなく生きちゃってる)

ではなく、

(一応生きてるつもり)

くらいにはなった。はずだ。

 

 

毎日泣かなくなった。

ご飯を食べるようになった。

友達と遊びに行って、

飲みに行って、

音楽も出来て、

仕事にも行って、

楽しいことがあったら笑うし、

やなことあったら心がざらつく時もある。

 

これは、これ。

かっちのことはまた、べっこ。

どー頑張ってもべっこにしかならない。

これが私の三年目、現時点での答だ。

それはそれ、これはこれ。

点と点が必ずしも繋がるわけじゃあない。

多分何度もこのブログでそう云ってきた。

 

友達と楽しく遊んで、ウルトラハッピー!!

だから私、もう大丈夫です。

だとか、

仕事超楽しい!調子いい!わっほいイケてる!!

だから私、もう立ち直りました。

 

とかじゃない。

いつかそれは変わるのかな って思ってきたけど、もう変わらないんだろう。

起こった事実はそのまま、ずっと私の根っこで生きるんだ。

 

 

 

 

 

これから先、どんな人と出会って、どんな私になるのかなんてわからない。

もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。

いきなりアラブの石油王と結婚する日が来るかもしれない。

夜の蝶的な、場末の女になるかもしれない。

いや、性別が変わるかもしれない。

わかんないよ。誰にもわかんない。

 

でも、どこに居たって何をしてたって、この根源の(それはそれ、これはこれ理論)は変わらない。んだろうなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今だって会いたい。

甘やかされたい。全力で。

甘やかしたいし、何より(今までの日常)を過ごしたい。

何もなかったような顔をして、半歩後ろで安心してたい。

頑張る理由を探しながら生きて、

それでもたまに疲れた時はこうやって、たらればに耽る。

私は生きてるけど、全然弱いまんまだ。

 


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なくならないならもうそれでいいや

 

 

随分と。本当に随分とご無沙汰しております。ぼっちです。

生きてる。なんとかかんとか生きてる。

ふと、この感覚を忘れちゃ駄目な気がする と思って今書いてる。

 

 

 

 

 

 

 

このブログを書いていなかった期間。

私はどう生きていたか。

心境の揺れや体調の変化。

色んなことがあって、頭を抱えた。

嬉しいこともあって、手放しで喜んだ。

誇らしいこともあって、自信がついた。

今の私を本気で必要としてくれる人や物事に、なんとか甘えようと努力したり。

色んなことが毎日あるんだよかっち。

それでも私に優しい日を選べてるつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず仕事。

 

ブログを止めた去年の8月。

8月末からまた働き始めた。

結果、私が選んだのはかっちの世界じゃなく、私の元いた世界。

かっちの見てた世界を見られたら とか、散々かっこいいこと言ってたけど、正直やっぱりこわかった。

ただ私がひよった。怖気づいた。

どっちでも(責任)って問題からは逃げられないもんだと思ってたけど、

前者はかっちと私の責任。後者は私だけの責任。

耐えられないかもな って冷静に考えて、元いた会社に戻った。

同じ会社だけど、事務業から完全にプレイヤーになった。

それでも、私を戻したい ってずっと動いてくれてた社長の顔を潰しちゃいけない!って気負いは今も私の中で続いている。

だから仕事頑張れてるのかな。

一日6時間。約週4日。

マージンがほとんどの仕事だから、その時間内ですっごい頑張れば東京で生活に困ることはない。

結局私は、実家にも帰らず、まだひとりで東京にいる。

でも、仕事が出来るようになったよ。

家で飲んで、泣いていた時間をお金生める時間に使えるようになったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

お酒をひとりで飲むことが殆どなくなった。

 

なんでだか言語化しろって言われると困っちゃうんだけど、手を伸ばさなくなったし、夜ひとりでふらっと出かけることがなくなった。

引越しで行きつけの飲み屋になかなか行けなくなったことも理由のひとつかな。

友達と飲んだりするのは今も好きだけど、先が見えない飲み方をもうしなくなってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体調のこと。

 

引越ししてから、めまい症が再発したのは今んとこまだ1回だけ。

めまい引いて、また1日経たずに再発 ってループを繰り広げていた去年からしたら、きっと大分いいんだろう。

耳鳴りもなくなった。

胸の苦しさみたいなのはまだたまにあるんだけど、動ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうあと3ヶ月でかっちが死んじゃって2年経つのか。

どんどん普通の人みたいに動けることが出来て、

やれることも増えてって、

それでもやっぱり、今でも変わってないことってのはあって。

色んな人に支えて、甘えさせてもらって、なんとか生きてるんだけど。

やっぱりもう人間に依存したり、全乗っかりなんて到底出来ないんだな ってこと。

この思考はかっちがいなくなってから全く変わってない。

帰る場所がかっちだったから、私は私だったし、今の私も存在してる。

帰り道にめちゃくちゃ思う。あいたいなぁとか、声聞きたいなぁとか。

かっちもそうだろうよと。勝手にそう思ってる。

あの世システムはやっぱり分からないから、自分に都合よく考えちゃってる。

自分ばっか年重ねるの超ヤなんですけどー とか、

自分ばっか悩みながら生きるの超しんどいんですけどー とか、

そんな雑音も自分の中には確かにある。

でもかっちもやだろうに って考える。

ぼっちにだけ年取らせてすまんなぁ とか。

ぼっちばっかりしんどい思いさせてごめんやで とか。

世の中に絶対はないけど、かっちは天元突破で優しい人だから絶対そう思ってる。

その部分もぶれないなぁ。これはきっとずっとこうだ。

だって私の中で、かっちとのことはかっちが生きて、私と一緒に居てくれた時間が総てだ。

もう増えることのない時間だけど、減ることもない事実。

 

またかけたらかこう。


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