白魔道士になりたい

常にFLASHBACK

好きは死なない

 

私の変化や私の日常って、ここ2年間位はそら穏やかなもので。

脳内(どうしよう)まみれで、でも頑張るしかないメンタルを保ち続けて、闘病期間にせっせこ車椅子を押してた私は29歳で、
今の私は今年で39歳になる。


この10年間、かっちを失ったことによる変化と、年を重ねたことによる変化。そらたっくさんある。自分の中できっと認識出来ていない変化もいっぱいあるんだろうな。

 

そんな中で過ごす私の日常って、驚くほど平和で、私に優しかった。
優しくいられた。

 

 

 

 

 

前、かっちのお義父さんお義母さんに、(大切にしている人がいます)報告をした時の話。


本当に本当に喜んでくれた。大喜びだ。
(この日を待ってたんだ)と。
(なんとなくそんな気がしていたの!!)と。
(今日は最高の気分で眠れるなぁ!)と。
二人共、はちゃめちゃに喜んでくれたんだ。手まで叩いてくれた。
んで、(すごく会ってみたい)とも云ってくれた。
嬉しかったなぁ。

 

お義父さんもお義母さんもめちゃくちゃ元気で、お昼間っから揚げ物のランチ完食してた。
すげーわ。それ見て私はとても嬉しかった。
いつも仲良くしている二人を見ているのも、嬉しくて好きだ。

 

 

 

 

この報告が出来るまで、結構悩んだ。
うーん。悩んだ ってのはなんか適切な言葉じゃないような気がするなぁ。考えた か。
この辺の思考って、ちょっとあやふやだから割愛したい。
ものっそ簡略化すると、私は時間と手間のかかる女だってことだ。


それは、(おそらく)普通のカップルさんが、ってか今までの私がしていたようなタイム感とは全く異なる進め方だったから。
周りの友達が、付き合って半年で同棲→1年で結婚!みたいな順調かつ素晴らしいタイム感で日々を過ごしている中、沢山沢山時間を遣わせてもらった。

 

その時間ってのは、腹を括ったり、覚悟を決めたり。
これは私だけじゃない。
私のパートナーもそうだった。
沢山遊んで、沢山悩んで、沢山話して、沢山笑って泣いた。

 


現状、籍はまだ入れてない。
今後どうするのかはまだはっきりとは決めてないけど。
この人となら、毎日を楽しく笑って過ごせる。
そう思えたから、報告に至れた。
有難いことだよ。と、心の底から思う。

 

 

おしゃべりが大好きで、ユーモアがあって、可愛げがあるのにすこぶる賢い人。


パートナーに云われた、(かっちさんを大事に思うぼっちをひっくるめて、大切にしたいって強く思った)って言葉は、
心の宝物ボックスに入れてます。

 

嬉しくて、(五代さんかよwww)って渾身の未亡人ツッコミをしたら、
(その返し、なんとなくやり難いわwww)って困って笑われた。
彼はめぞん一刻を履修していない。おおまかな登場人物と、軽いストーリーは知ってるレベルとのこと。はやくよめ。名作ぞ。

 

 

 

 


そうだ、えんちゃんともたまに連絡取り合ってるよ。
彼は引っ越しをして、少し離れた場所で頑張ってる。
夜中、他愛もないLINEをしたり、ベランダで電話をしたり。
お互い頑張ろうな っていうソウルメイトであり、私の恩人。これは一生変わらない。

 

えんちゃんはどこでも頑張れる人だ。私が心配しなくても、彼は大丈夫。
でも、もし彼にピンチが訪れた時は、私は全力で頑張る。
あの時助けていただいた鶴になって、えんちゃんの力になるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

過去のブログを読んでると、
(もう私の人生、点と点を繋いでも線にはなれない)
って言葉が散乱していた。
これは今でも思う。まじでそうだなぁ。よくこの時にそんなこと思えたなぁって。

きれいな線にはなれないけど、点は私の生きてきた道程だ。


絶望して、なんもかんもなくなっちゃって、もがいて足掻いて苦しくて仕方なくって。支えてもらって救われて。手を取ったり離したり。
切れてしまった縁もあったし、新たに紡がれた縁もある。
全部私のもの。
ぜーんぶ私の人生で、私のんだ。

嬉しかったこと、
情けなかったこと、
悔しかったこと、
悲しかったこと。
ちゃんと抱えて生きるよ。

見てて、って云える

ご無沙汰し過ぎてて笑う。ぼっちです。

 

最後に投稿してから2年。
かっちが死んじゃってから7年目の夏です。

 

 

 

 

 

この投稿のきっかけは一人の友達。
何て云ったらいいんだろう。同じ境遇、同じタイム感で日々を頑張って生きた、いわゆる未亡人フレンズだ。(いやなネーミングセンスは2023年も元気に健在してます)

LINEがきてね。それが私にはとてもとても嬉しくなる内容だったのよさ。
お互いの近況を軽く報告し合って、またゆっくりしゃべろ!って。私は彼女の近況を聞けて、とても嬉しかったから。
だからここに残しておこうか と思った次第でありんす。誰も読んでないかとは思うけど。なんだろ、すげー単純だな私。

 

 


ってかさ、今日久しぶりにブログ書くからね、ちょこっと昔の記事をなぞり見したんだけど、めちゃくちゃに頑張ってたんだなぁって。
変な話だけど、何度も泣いちゃった。
昔の私、頑張れ って。
頑張ったね って。
小脇に抱えて頭わしわししてやりたいっす。(ムツゴロウさんリスペクトスタイル)

それと、頑張ってあの頃を生きてくれて、ありがとうって云いたい。

 

 

 

 

空白にしてしまった2年間。
というか。かっちが死んじゃってからの私は、やっぱり変わったんだと思う。

嫌だなって思う場所に無理して行くこともなくなったし、
全方位から好かれようとするムーブが出来なくなった。
心がどんどん疲れてって、理想と現実の差に都度吐きそうになったり。
かっちががいた頃の私は、やっぱりもういない。
私がめちゃくちゃ好きだった私は、もう出来ない。
いないし、成れないんだから、しょーがない。

そう思って無理だと思うもの、全部投げました。

 

あと、あんなにベタ好きイベント好きだった私と、正反対な人間になったりもした。
(思いで)ってもんを残したくない って思考になって、写真をあまり撮らなくなったり、記録したりすることを避けるようになった。
ブログの更新をしなくなったのは恐らくこの辺りが要因かなと。

自分がどう成りたいのか、なにがしたいのか、ずうっと迷子だった。
のくせに、したくない、嫌なことには敏感で、厄介な奴というか、あぁ、めんどくさいな、私、やだな って思いながら生きてた。

 

 

 

 

 

 

私には、今、素敵なパートナーがいます。
上記のほんっとどうしようもなくってしんどい、辛い、苦しい時期に、根気よく近くに居続けてくれた人なんですよ奥さん。

 

彼のおかげで、極端に振り切った思考が少しずつ柔軟になり、2023年現在は本来のベタ好き!イベント好き!おでかけ楽しい!人間おもろい!の私にまた、会えるようになりました。
すげえな人って。しみじみ思う。自分のことなのに。またこんな私に会えるって、なにより、そんで誰より私が思ってなかった。


そら勿論、何から何まで昔の私!じゃないけど。
私は昔の私も、今の私も好きです。
(好きだ)って思えるようになったよ。

 


物理の日記も、去年の10月からまた書けるようになって、カレンダー恐怖症も治りました。
最近は楽しかったことを日記に書き綴って、ステッカーとか写真張り付けて、後から読み返して、(これ楽しかったなぁ)とか、(こんな写真撮ってたんだっけw)みたいに、思いでをなぞることもどんどん増えてきました。大進歩。

 

 

 

私の中にかっちはずっと居るし、これからもそう。
そんで、勿論そうであってほしいと言語化してくれるパートナー。
一体人生何週目なんだよ君は。恐らく一週目の私には到底理解出来ないであろう。

いつも本当にありがとう。

そんなね、近況報告でした。

 

 

 

 

身体の状況はやっぱり良くならない部分はまだある。
めまい症はたまに再発しちゃうから、不定期に揺れた世界に行くし、
風邪引きやすいのも相変わらず。
だけど、ちゃんとご飯が食べられるようになった。
お酒に手が伸びなくなった。
カフェイン依存は治らないけど。
毎日自炊してるんだよ。
嬉しく見ててくれてるんだろうなぁって、日々、思ってる。
私はそう思ってる。

切り取られた8月と反芻

金木犀の匂いが風に乗って私の場所まできた。
あぁもう秋なのかぁ と。

 

私には今年の夏が一切なかった。
というのも、実は8月中にコロナ疾患してしまっていたのだ。
会社で陽性者が出てしまい、濃厚接触者として数日自宅待機→発熱→検査→私も陽性に。という流れだ。地獄の数日間を過ごした。
自宅待機と療養期間、おまけに後遺症が暫くあったので結構な期間振り回されてしまった。
8月まるっと切り取られた。そんな感じ。

 

7月中にやっとこ取れた2ヵ月先のワクチン予約日も結果、療養期間終了のすぐあとになってしまった。病院の人にキャンセルをした方がいいと云われ、なんとか来週ようやっと1回目を打ちに行けることになった。ここまで長い道程だったなまじで…。

 


もうね、東京で、普通に電車乗って、生きている。働いてるからしょうがない。
ずっとそう思ってたし、勿論私に出来る感染対策は日々積極的に行って、それで感染してしまっても自分を責めて苦しくなるのはやめよう って、去年から胸に誓っていた。のに。

 

37.5℃~40℃の発熱が10分毎ランダムにあてがわれる感覚。
扁桃腺の腫れで水以外の飲み物、固形物が喉を通らなくなる。
正常な思考力も真っ当な判断力も、臥せってる私とはかけ離れた場所にあって、上手く機能してくれなくなる。
急に吐き気がして嘔吐して初めて、塩分と栄養を摂れてないことに気付いて情けなさで少し泣いた。
沢山の人が心配してくれてて、仕事やスケジュールで多方面に迷惑も掛けている。
今熱いのか寒いのか、今昼なのか夜なのか、そんなことも分からない。
私のことなのに。
今この瞬間の判断ひとつで、きっと私は私自身をどうにでもできてしまうんだろうな って大袈裟じゃなくそう思ってた。

 


まーーーーメンタル死にかけましたよってことです。
毎日根気よく連絡くれてた大好きな友達や、実家の家族、メンバーがいなかったらほんとにやばかったなぁと。
ちなみにお義父さんお義母さんには療養期間が終わってから全部話した。
すごく迷ったけど、その時の私は(今は云わないほうがいい)って思ったんだろうな。うーん。それでもめちゃくちゃに心配されたけど。
今はもう味覚も嗅覚も戻り(たまに日によって濃度が違うけど)、おかげ様で元気になった。

 

 

 

 

 

私さ、超いいことがあっても、超悪いことがあっても繰り返し頭の中で反芻してしまうのよ。いつも。
かっちがいたらどうしてるだろう って。
すごく楽しい映画を見て、エンドロールの文字を追いながら(かっちがいたらこの映画の感想なんて云うんだろう)とか。
ディズニーランドの新エリア情報をお届けするyoutube見ながら(かっちがいたらガストンと写真撮りたいwwwとか云うかな)とか。


だから今回も、かっちがいたらどうしてたんだろうシュミレートを回ってない頭でぼうっとしてた。
きっとずっとこうなんだろうな。
誰といても、どこにいても、趣味や季節が変わっても、私はきっとずっとこうだ。
いいじゃんね。そんなのも。なんて思う秋の夜。

 

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答え合わせ

沢山映画を見ている今日この頃。
基本的になんでも楽しく見られるラッキーな人間だったんだけど、最近はもっぱらイヤミスや普通のミステリー、ヒューマン系のサスペンスを見て、うわーーーっていう負の気分が高まってきたら一気にコメディを見まくる
といったなんともトンチキな自宅映画鑑賞をしている。

全部なんでもいいや。今の感情で見られる映画を探すのが億劫 だけどなんか見たいって時はクレヨンしんちゃん一択。
またNetflixに戻ってきてくれたから、気付けば1ヵ月で4本しんちゃん映画を見ている。平和。
あとは映画じゃないんだけど、水曜どうでしょう
でもやっぱどうでしょうはかっちと見るのがめっちゃ面白かったから、今一人で見てもなぁ感がどこまでもついてくる。厄介な奴め。


かっちもなんでも楽しく見られる人間だったな。
特にスティーヴン・キングが好きだったから、ショーシャンク、グリーンマイル、ミストはかっちおすすめ作品として一緒に見た記憶。
今は洋画も邦画も関係なく見るけど、当時ほぼほぼ邦画しか見てこなかった私にとっては新世界だった。

かっちとはおうちでもよく一緒に映画鑑賞に勤しんでいたけど、これまたよく映画館にも行った。
映画館特有のワクワク感が2人とも大好きで、あとお互いポップコーンと炭酸好き。何見に行ったってあの空気感に当てられて笑ってた。

 

 

 

 

 

我々が毎回楽しみにしていた未完の作品のひとつに新劇場版エヴァンゲリオンがある。
いつも新作を心待ちにして、公開日が発表されるとどちらからというわけでもなく、おさらいとしてシリーズ見返したり、前作を見てからチケット予約する というのがいつものお決まりパターンだった。

この前見に行ってきたよ。シン・エヴァンゲリオン
かっちの中ではまだエヴァは終わってなくて、Qが最後になってしまっている。
Qを見に行った時、同時上映だった(巨神兵東京に現わる)に大興奮して、当時東京都現代美術館でやってた、庵野監督の特撮博物館に行ったんだよなぁ。懐かしい。ジオラマに感動して写真撮りまくった思い出。

これはシンが公開された2021年現在から遡ると9年前。2012年の私たちだ。
一緒に完結を見届けたかったけど、しかたない。
世の中では終わったもの、だけどかっちは終われてないもの。沢山あるけどこれはもうしかたないんだ。
脳内で(来られたよ、完結ちゃんと見られたよ)って報告しながら、ちゃんと終わりを見てきた。

 

まぁさ、こんなことまみれで。今回の映画のことみたいに特筆しなくたってこんなことは生活の中で山程あって。
それをなんとか自分の中だけで消化する過程や作業が最初はとても辛くて、しんどかった。
かっちが終わりを見たかった作品、もっと聞き続けたかった音楽、そんな素晴らしい娯楽たちは変わらず、生きる私の日々の中には溢れかえってて、あぁもうこれどうにかなりそうだって思ってた時期もあった。
でも、今は想いや記憶をなぞったり、一緒に楽しんでた日々を思い返したりすることで自分の情緒が保たれているように感じるの。

わかんないよ。今後も同じようにこう思えるかなんてわかんないけど、最近は穏やかに1人思い返して、脳内で思い出話してるみたいな。

 

個人の好みや見解は勿論、人の数だけ在るって思うけど。
私はエヴァの終わりは、とてもよかったと思う。答え合わせ沢山出来たよ。
なんて脳内会話。
かっちはなんて云うだろうなぁ。

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21:19ひとりごと

お花見シーズン到来。

今年も去年と同じで、おおっぴらには出来ないけど。ひとりで夜桜でも見にいこうかなぁ的なことは思った。

去年は色んな思いが交錯しちゃって、花見てる余裕もなかった。

TLに流れる(お花見は来年まで我慢しよう!)みたいな文字を目が追ってしまって、

じゃあ来年がない人はどうすればいいんだろ。

来年を待てない人とその大切な人たちは確実に存在して。

かっちの闘病中だったらどうしてたんだろ。

そもそも面会も毎日出来ないよなこれ。

どんな気持ちで夜を越えるんだ。

患者さんも、その大切な人も。

そんなようなことを頭の隙間で常時考えちゃって。

それプラス。もろに影響を受けてる個人事業主のクリエイター友達、アーティスト友達の疲弊し切った声を知らず知らずのうちに沢山受けていたから、なんかもうとことん自分じゃない他人さんにいっぱい感情移入してしまって、とても情緒が不安定だった。

勝手に感情移入して、勝手にしんどくなって、勝手に不安定になってた。

なんだこの負のループwww

でも実際去年の今頃はほんと、そんな感じだった。

今年は仕事行く時に咲いてる梅とか桜に対して、ちゃんと(かわいい)って思えたことがまず、嬉しかった。

まだまだ世の中の状況は厳しいけど。

それでも、なんとか2021年の春を生きてる。

みんながちょっとでも楽ならいいな。

私もちょっとでも楽って思えたらいいな。

そんなバカみたいに単純な気持ち。

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かっちと私の2月

ベタなことがとても好きな私は。
2月は勿論、豆まきして、恵方巻頬張って、チョコをせっせとこさえてたなぁ って過去の自分を振り返る。

 

スーパーで売ってる豆まきセットには鬼の仮面が入ってて、その年によってかっちが鬼役やったり、私が鬼役やったり。
鬼役はとてもコミカルな動きでおうちの中を動き回らなくてはいけないルールで、(一通り動いたな…)と、(もう豆の残機がない…)が一致するタイミングを見計らって玄関から逃げてゆく という、きっとどのご家庭でも通用するであろういわゆるベーシックな豆まきを楽しんでいた。

んで、仮面外して(おつかれーーwww)的な感じでお互いの健闘を称え、方角調べて、無言で恵方巻を食らう。
までが我が家の愉快な節分というイベントだった。
あれ楽しかったなぁ。
他の誰かとあのトンチキ豆まきをしてる想像が私には全く出来ない。
かっちとしか出来ない。多分。

 

 

 

 


バレンタインは基本作ってたけど、めっちゃ忙しいタイミングとかは既製品のちょっとええチョコを献上システム。
かっちはチョコが好きだ。ケーキもチョコケーキ派。
だから作るときは気合入れて臨むし、規制品選ぶ時も真剣。
プラザとかロフトでかわいいメッセージカード買って、ちょっとした手紙書いて、チョコと一緒に渡してた。毎年。
どっちだって、なんだってよかったんだよなぁ。

 

お葬式の時、棺に入れるものを探したりしていた時。
家の掃除や整理をしてたらBEAMSの箱が出てきた。

オレンジの蓋を開けたら、8年分の私からかっちに宛てた手紙がぎっしり入ってた。
正直お葬式前後の記憶って、今もなんだかとても曖昧で。
なんだけど、これははっきり覚えてる。

 

山ほどある手紙やメッセージカードを時系列順に並べて読んでみた。
私が一番最初に手紙を送ったのって、バレンタインだったんだ。

 


かっちと出会うまで、料理や自炊をほぼしてこなかった私が、かっちと迎える初めてのバレンタイン。
前にも書いたなこれ。って思ったので貼っとくね。自分用に。バレンタインde太田胃散事変。
http://hitoribocchi17.hatenablog.com/entry/2017/02/10/014556

 

 

 

 


手紙やメッセージカードは全部棺に入れた。
私がかっちにあげたものだし。
こんなくっそ昔のものまでとっといてくれてたんだ って思った。と、思う。
かっちと豆まきやりたいなぁ。
バレンタインもやりたいなぁ。
なんて過去をなぞる休日です。今日はもうそういう日。

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絵空事を今日も歌う

前回のブログからこんなに時間が経ってた。びっくり。なんかこの半年、異質な位時間の流れが早かった。
特に何をしたってわけじゃない。寧ろ、いつも以上に何もしていない。
自粛期間が今も続いているから、音楽活動は室内でぼっち。もしくは2人作業。遊びに行ったりも勿論せず、本当に何もしていない。実家にも帰れてないし、かっちのお義父さんお義母さんにも去年のお正月から会えてない。
Netflix漬けの日々。でしたよまじで。

 


私の日々は相変わらず。不定期にかっちの夢を見て、それを起き抜けすぐiPhoneのメモ帳に書き留める。


私のメモ帳のフォルダは、
・すべてのiPhone
・メモ
・password
・lyrics
・dream
で形成されている。


一番下の(dream)フォルダはかっちが出演した夢専用フォルダだ。貯め込んでるんですよ、かっちの夢。
件数が増える度、こっそり嬉しい。たまに読み返す。んで、(変な夢だなwww)ってニヤついて、少し寂しくなる。
あーあ。会いたいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この前かっちのお誕生日にお墓参りに行った。
ものっそ久しぶり。約1年振り。命日に行けなかったからな。


黄色とオレンジがメインの可愛いお花を買ってったんだけど、お誕生日だからかお義父さんお義母さんが先に来てたっぽくて(こんな状況だし、来なくていいからね!おうちでゆっくりしてて!って云ってくれてた)、花瓶に可愛いお花が既にてんこ盛り。
私の買ってきた分を投入したら驚く程ギッチギチになっちゃって、お墓で1人脱力笑いしてしまった。


帰りの車内でお義父さんとお義母さんに報告。
(命日には会いたいね)って。

 

いつもかっちが隣に座ってた特急列車の中でLINEを投げ合う。
常に窓際に座らせてくれてたな。
座席の前に差してある、季節毎に変化しているであろうリーフレットを真面目に読んでたな。
車窓から見えるかっちの通ってた中学校。その辺通るといつも無駄にテンション上がってて可愛かったな。
あと何回1人で乗ったら、2人で往復した回数を越してしまうかな。
そんなこと考えながら、帰路についた誕生日だった。

 

 

私はさ、大袈裟でも何でもなく、今自分がここにいることって本当に周りの人達の手と目のおかげだと思っていて、それがめちゃくちゃ有難く感じる日がほとんど。苦しく感じる日がたまにある。

その、たまにの日に感じる苦しさがとても辛いんだけど、愛おしくもあるという謎現象なの。


悲しいはかっちじゃないし、苦しいもかっちじゃない。
かっちのことを意識的に考えたり、ふと思い返したりすると、苦しくてでも愛おしいの。

だからあまり嫌じゃないというか、これってとても必要な感情のような気がして、絶対手放しちゃいけないヤーツじゃね?!と気付いた。
というか手放せないんだろうけど。そんな気も毛頭ないけど。
相変わらず言語化能力が低い。上手いことお伝えしたいのになぁ。

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